池田先生と北海道 (2019.1.28)

勝つとは深き祈りと三倍の努力
池田先生が北海道文化会館(札幌市厚別区)から撮影した三本の三色旗(19918月)。
三代会長の有縁の天地・北海道を象徴するかのように、大空のもと、「勝利・栄光・平和」の創価の旗が、勢いよくはためく  
池田先生が各地の友に寄せたスピーチや指針などを紹介する「勇気の旗高く」。
 
恩師の遺言
池田先生はこれまで、恩師・戸田先生の故郷である北海道を51回訪れている。
初訪問は1954年(昭和29年)810日。池田先生は、戸田先生と共に、恩師が青春期を過ごした旧・厚田村や札幌を巡った。
戸田先生にお供しての旅であった。そして多忙の日程のなか、師の故郷に足を運んだのであった。
「私のふるさとを、大作に見せておきたいんだ」
先生の育った家も、一緒に拝見させていただいた。
今、その家は、村の公園に移設・復元されている。
師弟二人して厚田の海岸に立った時、先生は、海の彼方を見つめながら言われた。
「この海の向こうには大陸が広がっている。
大作、お前は世界の広布の大道を必ず開いてゆけ! 頼む。断じて開け!」
それは、恩師の広宣流布の遺言である。
その遺言は、今なお私の胸中に響きわたっている。
私は、先生と、苦しんで戦うことが、好きであった。
先生と、あらゆる非難を浴びながら戦うことが、幸福であった。
そして先生と、この一生を、苦楽を共にしながら深い誓いの人生を生きゆくことが、本望であった。 私には、何の悔いもない。 
さらに池田先生は、当時の戸田先生との思い出を振り返りながら、恩師から託された北海道広布のさらなる伸展を、次のように望んだ。
先生は言われた。
「北海道は、未来の新天地だ。大作、広布のために、多くの多くの友をつくってくれよ」「おれの故郷である北海道を大切にしてくれ。発展させていってくれ」
私は、遺言と受け止めた。
今や大北海道に、史上最強の誇り高き青年の陣列が出来上がった。
見よ! 広大な北海道の、あの町で、この町で、正義と勇気と栄光の“三色旗”は、勝利、勝利と翻(ひるがえ)っている。
広宣流布は北海道から!」──私は、北海道の英雄の皆様を讃えながら、そしてまた、この永遠の指針を託したいのである。
 
信・行・学のギア
初訪問に先立つ3月、戸田先生から青年部の室長の任命を受けた池田先生。
全国各地で拡大の渦を巻き起こす中、北海道では、「小樽問答」、そして現在の札幌市中央区を中心に、北区、白石区など、市内を巡った「札幌・夏の陣」、空知(そらち)地域での「夕張炭労事件」と、連戦連勝の歴史を重ねた。先生は、北海道中を駆けた日々を振り返り、真情をつづっている。
毎日の闘争は、皆で呼吸を合わせた朝の勤行と、私の30分の御書講義で始まった。
信心で勝つことだ。
勇気で勝つことだ。
智慧で勝つことだ。
ゆえに「信・行・学」のギアがかみ合ってこそ、一日一日の行動も無敵の闘争となる。
これは、「札幌・夏の陣」における勝利へのリズムであり、翌年の「大阪の大法戦」の原形となるものであった。
悪戦苦闘を突き抜け、断固と勝つことが道を開く。
労働組合が、学会員の信教の自由を圧迫した、あの人権蹂躙(じんけんじゅうりん)の「夕張炭労事件」にも、北海道の同志は、私と共に完全勝利を収めた。
その1957年(昭和32年)から69年(同44年)まで、私は、13年連続で北海道を訪問している。
深雪を踏んで戦う旭川(あさひかわ)へ、霧をも晴らす情熱の釧路(くしろ)へ、鉄の団結の都・室蘭(むろらん)へ。正義の砦・函館(はこだて)へ、開拓の魂が光る帯広(おびひろ)へ。
そして、最北の港湾都市・先駆の稚内(わっかない)へ、交通の要衝(ようしょう)・躍進の岩見沢(いわみざわ)へ、と。
71年(同46年)2月、あえて厳冬に挑み、銀の大地に描いた「雪の文化祭」も、偉大なる開拓精神の詩であった。
「小樽問答」「札幌・夏の陣」「夕張炭労事件」──北海道の三大闘争を、私は、若き生命の日記に「勝利」「勝利」と刻みつけながら戦った。
北海道は、創価の連続勝利の光源である。
“牧口先生、戸田先生の青春の故郷に、敗北の汚名を残してなるものか!”
“師弟有縁の神聖なる天地に、必ず輝かしき正義の旗を打ち立ててみせる!”
これが、つねに変わらぬ、私の決心であった。
 
「開拓魂」燃やし
師弟が築いた、あこがれの広布の天地・北海道。池田先生は“開拓魂”燃える同志を、見守り続けている。
北海道と私は一つだ。
つねに広き曠野(こうや)が、私の胸を走る。
凍りついた大地を、わが友が、いつも苦しみを歓喜の劇に変えながら、そして使命と喜びの杯を交わしながら、歩みゆく姿を思う時、熱い活発な魂が、私の胸に躍る。
もっとも厳しい場所で戦い、そこで勝ってこそ、真実の広宣流布の実像がある。
そして、苦難の吹雪のなか、健気に頑張っている人を、仏と思い、菩薩と尊敬し、励ましてこそ、真実の同志である。
だれが、なんと言おうが、何があろうが、われは、断固として広宣流布をする! 断じて勝ってみせる!
これが、学会精神である。これが、世界の人々の憧れの故郷である、北海道を築いた“開拓魂”である。
この心ある限り、北海道は、いかなる吹雪も烈風も超えて、新世紀の希望の春が、厳然と始まるにちがいない。
私は、健気な北海道の同志の健康と長寿とを、そして皆が勝利者であることを、一生涯、祈り続けたい。
 
希望のVサイン
本年は、池田先生の51回目の北海道訪問(94年〈平成6年〉)から25周年の節目だ。
北海道の同志は、この折に先生から贈られた不滅の指針「勝つとは 深き祈りと 人の三倍 努力することだ」をはじめとする、渾身の激励を胸に刻む。
 
戸田先生は、よく言われていた。
「私は何がうれしいか。それは、学会員から『こんなに幸せになりました。健康になりました』と報告を受けることが一番うれしい」と。
私も、まったく同じ気持ちである。
目の前の証拠、すなわち信心の「実証」を示すことが、いちばん説得力がある。雄弁に、妙法の正しさを教えられる。ゆえに、生活で勝たねばならない。人生に勝たねばならない。 
北海道は、私が牧口先生、戸田先生の心をわが心として、皆さまとともに築いてきた「民衆の幸福城」である。「創価の故郷城」である。  (中略)
大切な大切な、この「幸福城」「故郷城」「三代城」を、断じて魔軍に破壊させてはならない。
魔には、つけ入るスキを与えてはならない。
北海道の皆さまは、どんな時にも、希望のVサインを掲げながら、「北海道さえあれば、学会は永遠なり」という難攻不落(なんこうふらく)の「三代城」を築いていただきたい。
「三代城」は北海道しかない。この誇りで進んでいただきたい。
広布への情熱の炎を燃やし、3年連続の世帯増を成し遂げた北海道の友。“創価勝利の春”へ、難攻不落の「三代城」の底力を満天下に示す時が来た。