「新時代の黎明」 (2019.2.4)

勇気で挑め困難に屈するな!
声は力なり 立正安国の言論王たれ 
わが郷土は「よきところ」と信頼広げ
 
 雲湧き、風起こり、まばゆい太陽が光を放つ。その自然のドラマのもと、大阪城が堂々とそびえる。
“常勝”の誇りも高き民衆の勝利劇を厳と見つめるように――(1997年11月、池田先生撮影)
 
「光明は人を輝かす」と、文豪ビクトル・ユゴーは叫んだ。
世界的な傑作『レ・ミゼラブル』では、人を健やかに、幸せにする光明が希求されている。
世の悲惨に打ちひしがれた民衆のために!
苦悩の闇に追いやられた若人のために!
ユゴーは、人間を進歩させる原動力に、「あえてなす」ことを挙げた。
正義と人道の行動に打って出る勇気が、生命を光輝あらしめるのだ。
法華経には、「地涌の菩薩」は「無量の光明あり」(創価学会法華経452ページ)と、その輝く姿が讃えられている。
翻(ひるがえ)って、地涌の光明は、今いずこにあるのか。
御本仏・日蓮大聖人の仰せの通り、広宣流布のため、立正安国のため、たゆみなく勇猛精進する、創価の民衆にこそあるのだと、私たちは高らかに宣言したい。
執筆25年に及んだ小説『新・人間革命』が完結して迎えた1年――いよいよ、わが宝友一人ひとりが自らの人生の上に、偉大な「人間革命」の実証を示しゆく時だ。
創価世界市民の連帯が地球社会を包み始めた今、この欄も「随筆 『人間革命』光あれ」として、綴(つづ)っていきたい。
 
衆生の闇を破る
我らが実践する日蓮仏法は、まさしく「太陽の仏法」である。
その正義を、創価の父・牧口常三郎先生は、法難の獄中にあっても、堂々と主張されていた。
当時の訊問(じんもん)調書を繙(ひもと)くと、牧口先生は、法華経神力品の一節を引かれている。
「日月の光明の 能(よ)く諸(もろもろ)の幽冥(ゆみょう)を除くが如く 斯(こ)の人は世間(せけん)に行じて 能く衆生の闇(やみ)を滅(めっ)し」(法華経575ページ)
そして、大聖人こそ、全世界の人類を即身成仏へ導く大導師であられると明言されたのである。
軍部政府の圧迫を恐れた宗門が、御書の「日蓮は一閻浮提(いちえんぶだい)第一の聖人なり」(974ページ)などの要文を削除した所業とは、あまりに対照的であった。
日蓮仏法の真髄の光は、まぎれもなく創価の「師子王の心」によって厳護され、継承されてきた誇りを忘れまい。
牧口先生が身読された神力品の経文には「世間に行じて」とある。
この通りの実践こそ、まさに学会活動なのだ。世間を離れてしまえば、悪口罵詈(あっくめり)されることも、煩(わずら)わしい苦労もない。
しかし我らは、久遠元初からの地涌誓願のままに、あえて試練の国土に躍り出て、民衆の苦悩の闇(やみ)、時代の闇、社会の闇を打ち破っていくのだ。
今、日本全国、全世界で、創価家族が「柔和忍辱(にゅうわにんにく)の衣(ころも)」を着て、勇敢に誠実に大仏法を「世間に行じて」いる英姿の光明を、御本仏がどれほど讃嘆され、また牧口先生が喜んで見つめておられることか。
 
月闘争の着眼
日蓮大聖人の聖誕の月にして、戸田城聖先生の誕生の月である2月を、「報恩の拡大」で飾ろうと、67年前(1952年)、私は、蒲田支部の若き支部幹事として行動を起こした。
当時の組織の最小単位である「組」(現在のブロック)を基盤に、異体同心で邁進し、それまでの壁を破る弘教で、広宣流布の突破口を開いた。
その際、「祈りから始める」「体験を語る」との指針と共に、私は「近隣を大切にしよう」と訴えた。
これが「伝統の二月」の淵源(えんげん)である。
特別な作戦などない。要は、一人ひとりが、自分のいる場所で、自分の身近な縁に目を向けて、そこから、勇気の対話の一歩を踏み出すことだ。
ここで戦うと腹を決めれば、会う人、縁する人に向き合う一念が変わる。自分の祈りが深まれば相手も環境も変わる。
それを避けていたら、いつまでも、自分の「本国土」とはならないのだ。
一番足元の近隣・地域の人びとを眷属と慈しみ、妙法の光で楽土へ照らしていくことが、立正安国の大道なのである。
大聖人は、大難に挑まれている新潟・佐渡で、悠然と言い放たれた。
「我等(われら)が如く悦(よろこ)び身に余りたる者よも・あらじ、されば我等が居住(きょじゅう)して一乗を修行せんの処は何れの処にても候へ常寂光の都(みやこ)為(な)るべし」(御書1343ページ)
ともあれ、悩みのない人生がないように、何の課題もない地域など、どこにもあるまい。
それでも、わが郷土を、御書の御指南の通りに「よきところ・よきところ」(同1183ページ)と一念を定め、皆で知恵を出し、育んでいくのだ。
その快活な挑戦を続ける中で、事実の上でも、必ずや「三変土田(さんぺんどでん)」して、「よきところ」へ転換していけるのである。
「二月闘争」等で駆け巡った東京の大田や神奈川の川崎、また鶴見をはじめ共戦の天地も隆々と栄え光っていることを、私は妻と嬉しく伺い、縁の友に題目を送っている。
 
さあ最前線へ!
本年、我らは「創立90周年へ 創価勝利の年」と掲げて出発した。
このように“一年間のテーマ”を決めるようになったのは、60年前の一九五九年からだ。
戸田先生が逝去されて初めて迎える新年を「黎明の年」にと、私が発案したのである。
「黎明」とは、暗から明に転ずる「夜明け」のことである。
当時、総務の役職とともに、青年部の室長も兼務していた私は、「青年の力」によって、この一年を創価の黎明とするのだと誓い、祈った。
さあ、広布拡大の最前線へ! まだ訪れていない地域へ! 会えていない友のもとへ!
私は、先陣切って動きに動いた。
「幹部が率先して一番困難な所にあたるのだ。法華経は冬の信心ではないか」と呼び掛けて、私自身が真っ先に、厳寒の北海道へと向かった。
1月15日には小樽(おたる)に第一歩を印すと、旭川、夕張、そして札幌へと、北の大地を駆け、同志の中へ飛び込んでいった。
恩師の故郷で、北国の友の辛労を偲(しの)びつつ、希望の灯火を掲げたのだ。
2月1日には、関西へ。続いて四国に渡り、香川、高知を回った。一旦帰京し、中旬に中部の名古屋、再び大阪。大阪事件の公判の合間を縫(ぬ)って、懸命に友の激励を重ねた。
3月に入ると、茨城の日立、水戸を歴訪し、次いで埼玉の大宮へ。
日蓮が一類は異体同心なれば人人すくなく候へども大事を成じて・一定法華経ひろまりなんと覚へ候、悪は多けれども一善(いちぜん)にかつ事なし」(同1463ページ)
行く所、向かう所、御聖訓を拝し、異体同心の団結こそ勝利の要諦なり、と約し合ったのである。
下旬にも、愛知、滋賀、福井、京都、岐阜へと転戦し、御書を拝しては対話を続けた。一瞬の機会も逃さず、真剣な個人指導に徹した。
皆、悩みを抱え、健気に悪戦苦闘していた。その胸奥に、御書と恩師の指導を通して、勇気と希望という確かな黎明の光を灯していったのだ。
御聖訓には、「百千万年くら(闇)き所にも燈(ともしび)を入れぬればあか(明)くなる」(同1403ページ)という譬えがある。
声も惜(お)しまず、勇気凜々と語った分、内外を問わず、仏縁を結び、友の心を明るく照らし、温めることができるのだ。
60年の時は巡り、青年部の中核たる創価班、牙城会、白蓮グループにも「新時代一期生」が誕生し、新たな黎明を告げる活躍を開始している。
各地の“青年室長”との深い自覚で、励ましを広げ、人材の育成と拡大に当たってくれている男女青年部のリーダーたちを讃え、労いたい。
 
通信員制度65年
人間主義の言論紙たる聖教新聞は通算2万号の金字塔を打ち立てた。とともに、この1月、通信員制度が発足してから65周年の節を刻んだ。
地域の最前線で創価の民衆運動を記録し、宣揚(せんよう)しゆく尊い献身にあらためて感謝申し上げたい。
通信員の方々が撮影した写真のページ「郷土アイ」に、先日、懐かしい新潟の瓢湖(ひょうこ)に飛来した白鳥が紹介されていた。
写真では、「いざ、羽ばたかん!」とばかりに、大きく翼を広げた一羽の姿が印象的であった。
御書には、白鳥の声を聞いて嘶(いなな)く白馬の声によって威光勢力(いこうせいりょく)を増すという輪陀王(りんだおう)の故事を通し、「白馬は日蓮なり・白鳥は我らが一門なり・白馬のなくは我等が南無妙法蓮華経のこえなり」(同1065ページ)と仰せである。
題目の声を響かせるところ、梵天帝釈(ぼんてんたいしゃく)をはじめ諸天も光を盛んにして、我らを守護(しゅご)しないわけがないと、ご断言である。
どんな逆境に臨んでも我らには題目がある。
全同志が「自他彼此(じたひし)の心なく」(同1337ページ)と題目を唱えゆく恐れなき前進に、諸天の旗も色冴(いろさ)えて、「人間革命」そして「立正安国」の大光はいやましていくのだ。
 
語り続けよ友よ
大寒波に見舞われたアメリカ中西部など、各地で自然災害が続き、国際情勢も揺れ動いている。全世界の尊き仏子の健康と安穏を、強盛に祈らずにはいられない。
「語る者よ、語りつづけよ、歌う者よ、歌いつづけよ」と、アメリカの大詩人ホイットマンは、力強く呼び掛けた。
粘り強く発し続ける青年の声、民衆の声、連帯の声にこそ、世界を変えていく力がある。
「声は力」である。
「声は光」である。
いよいよ「声仏事(こえぶつじ)を為(な)す」(御書708ページ)と、大確信の師子吼(ししく)を轟(とどろ)かせながら、「創価勝利の年」を輝き光らせていこうではないか!
                                (随時、掲載いたします)