​​大白蓮華 2018年7月号(No.825)

 我らは「生死不退」の心で
                             池田大作 

 日蓮大聖人が年配の父母たちを慈(いつく)しまれた御振る舞いを拝するたびに、私の胸は熱くなる。
 子どものいない佐渡国府入道夫妻(こうにゅうどうふさい)へのお手紙では、「教主釈尊(きゅしゅしゃくそん)は入道殿(にゅうどうどの)と尼御前(あまごぜん)の慈父(じふ)です。日蓮 はまた、あなた方の子です」(1323ページ、通解)と寄(よ)り添(そ)われ、不安を取り除(のぞ)かれている。

   富木常忍(ときじょうにん)の90代の母堂(ぼどう)へは、「全和宙の諸天(しょてん)が、 お母さまの信心の志(こころざし)を知られるでしよう。その功徳は、露(つゆ)を大海に入れ、土を大地に加えるようなものです。生生(しょうじょう)に、失われず、世世(せぜ)に朽(く)ちないでしょう」(9681ページ、趣意)と讃(たた)えておられた。

 こうした仰せは、そのままいとおしい創価の父母たちへのお心であり、お約束であろう。
 わが師・戸田城聖先生は、私が19歳でお会いした座談会の折、悠然と語ってくださった。
 —— 生老病死という根本の悩みを、誰もが打開して必ず正しい人生を送れるのが、日蓮仏法だよ、と。
  この70星霜(せいそう)、先生の指導通り、生死の苦悩に立ち向かい、我ら創価家族は、何と多くの「人間革 命」の勝利の実証を積み広げてきたことか。

生死一大事血脈抄」には「一仏二仏に非(あら)ず 百仏二百仏に非ず 千仏まで来迎(らいごう)し 手を取り給はん事・歓喜の感涙押(かんるいおさ)え難(がた)し」(1337ページ)と.かれる。
 友へ題目を送り、励ましの手を差し伸べてきた多宝会の方々こそ、生死を超えて千仏の手に抱(だ)かれ、護(まも)られ、歓喜(かんき)と安穏(あんのん)の軌道(きどう)を進みゅけるに違いない。

 恐るるな
  生死ともに
    仏なり
  山越え谷越え
    歓喜の凱歌を

 当然、生身(なまみ)の色心(しきしん)には、加齢(かれい)による衰(おとえお)えがある。
勿体(もったい)なくも御本仏が、最晩年(さいばんねん)、「この八年の間は、やせる病気といい、齢(よわい)といい、年々に身も心も弱くなってきました」(15831、趣意)と仰せである。 その中で大難を忍(しの)ばれ、一人ひとりを擁護(ようご)し、薫陶(くんとう)され、万年の令法久住(りょうほうくじゅう)を開いてくださったのである。
 ゆえに、自身の病や家族の介護等(かいごとう)にも、「長く信心してきたのに」などと、たじろぐ必要はない。
「このやまひは仏の御はからひか」「病(やまい)ある人仏(ひとほとけ)になる」「病(やまい)によりて道心(どうしん)はをこり候なり」(1480ページ)との御金言のままに、深き意味を見つめつつ、何ものにも屈しない、変毒為薬(へんどくいやく)の大福運と大境涯を 一家眷属(いっかけんぞく)に創り上げていくのだ。これが信心である。

 たとえ、眼(まなこ)・耳(みみ)・鼻(はな)・舌(した)・身(み)・意(い)という「六識(ろくしき)」 の働きが衰弱(すいじゃく)しようとも、広宣流布の闘争(とうそう)で築(きず)いた胸中の「九識心王真如(くしきしんおうしんにょ)の都(みやこ)」は、絶対に崩(くず)れなぃ。
 我らの三世の旅路(たびじ)は、永遠に妙法と一体であり、 大聖人と一体なのである。何の不安があろうか。
 この「信心の血脈(けつみゃく)」は、今は、反発している家族の生命にも必ずや流れ通っていくから、心配はない。

 創価の父・牧口常郎先生は、獄中で殉教(じゅうきょう)された。 いかなる場所で、いかなる臨終(りんじゅう)の姿をとろうと、広布の誓願(せいがん)に生き抜く生命は、「一生成仏」の凱歌(がいか)を 轟(とどろ)かせていけることを教えてくださっている。
 先師(せんし)から託(たく)された「生死不退(しょうじふたい)の心」で、多宝(たほう)の長者(ちょうじゃ)たちと共々に、常楽我浄(じょうらくがじょう)の香風(こうふう)を広げゆこう!
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