2010-11-01から1ヶ月間の記事一覧

【第39回】 民衆の凱歌轟く 福井  2010-11-6

希望ある限り道は開ける! 「皆さまは見事に勝ちました!」 池田名誉会長の力強い勝利宣言だった。 平成2年(1990年)10月22日、福井文化会館での日本海3県(福井・石川・富山)合同総会。宗門の迫害を越えて、創価の師弟城を守りゆく同志の決意が…

【第38回】 東北の要の人材城 福島 2010-10-29

広布の道は「平和の道」 昭和59年(1984年)5月13日の第1回福島青年平和文化祭。午後1時半、池田名誉会長が会場の信夫ケ丘競技場に到着した。すぐさま、雨の中、傘もささずにグラウンドへ。 「本当にご苦労様」 「風邪をひかないように」 場内を…

小説「新・人間革命」 母の詩 48 11月27日

九月十三日に営まれた山本伸一の母・幸の本葬儀の際も、伸一の心を悩まし続けていたことがあった。台風十七号が、各地で豪雨をもたらし、被害を広げながら北上していたのである。 被災地域は刻々と拡大し、十三日には、沖縄、九州、四国、中国、近畿、東海、…

小説「新・人間革命」 母の詩 47 11月26日

山本伸一の母・幸が他界したことを知った関西の創価女子学園(当時)の生徒たちは、すぐに、皆で「母」の歌を歌い、テープに吹き込んだ。冥福を祈っての合唱であった。そして、そのテープを、伸一に贈った。 九月九日の朝、伸一は、それを聴いた。乙女たちの…

小説「新・人間革命」 母の詩 46 11月25日

山本伸一の母・幸の通夜は、九月七日に営まれ、翌八日には密葬が行われた。会場は、いずれも、東京・大田区の実家であった。 出棺となった八日の午後二時過ぎ、車に乗ろうとして、伸一は空を見上げた。 青空に雲が流れていた。 十九年前のこの日は、横浜・三…

小説「新・人間革命」 母の詩 45 11月24日

東京文化祭を終え、大田区の実家に駆けつけた山本伸一は、深い眠りについた母・幸の顔を、じっと見ていた。幾重にも刻まれた皺が、苦闘と勝利の尊き年輪を感じさせた。 時計の音が、部屋に響いていた。 伸一は、午前一時半ごろまで付き添っていたが、ひとま…

小説「新・人間革命」 母の詩 44 11月23日

子育ての苦労は限りない。それだけに、親が子どもを育てることの意義を、どう自覚し、いかなる哲学を胸中に打ち立てているかが、重要になる。 もちろん、子育て支援や虐待の防止のためには、行政などの取り組みも必要不可欠である。 しかし、より重要なこと…

小説「新・人間革命」 母の詩 43 11月22日

子どものなかには、難病にかかって、生まれてくる子もいる。その宿命に真正面から向き合うことは、親にとっても、あまりにも辛く、苦しいことにちがいない。 しかし、皆が尊極の「仏」の生命をもち、偉大なる使命をもって誕生しているのだ。 ある婦人は、生…

小説「新・人間革命」 母の詩 42 11月20日

近年、育児放棄をはじめ、児童虐待が急増しつつある。その要因には、“育児に縛られず、自由でありたい”という強い願望と、親としての責任感の欠如がある。 本来、子育ての責任を自覚し、自分のエゴイズムをコントロールする心を培うことこそ、親になるための…

小説「新・人間革命」 母の詩 41 11月19日

わが子を、戦争で失うことなど、絶対にいやだ。戦争には、断固として反対だ――それは、すべての母の思いであろう。 しかし、それが、平和思想となって、深く広く根を下ろしていくには、自分だけでなく、子どもを戦場に送り出す、すべての母や家族の、さらには…

小説「新・人間革命」 母の詩 40 11月18日

「母性は本来の教育者であり、未来に於ける理想社会の建設者」(注1)とは、創価の父・牧口常三郎初代会長の言葉である。 トルストイは「母親のこころは、――それは地上における神性の驚くべき至高の現われです」(注2)と語り、オーストラリアの詩人ジェフ…

小説「新・人間革命」 母の詩 39 11月17日

「母」の歌にまつわる逸話は尽きない。 一九九二年(平成四年)十二月、創価大学のロサンゼルス・キャンパス(当時)で、語学研修中の創価女子短大生が、米国の人権運動の母ローザ・パークスと懇談する機会を得た。 短大生が尋ねた。 「模範とされるのは、ど…

小説「新・人間革命」 母の詩 38 11月16日

山本伸一は、ソニア夫人に懸命に訴えた。 「運命を価値に転換してください。その人が人間としての勝利者です。王者です。 ソニア夫人が悲しめば、亡きご主人も悲しまれるでしょう。夫人が笑顔で立ち上がれば、ご主人も喜ばれるでしょう。夫人とご一家の勝利…

小説「新・人間革命」 母の詩37  2010年 11月13日

山本伸一は、八月六日、鹿児島の九州総合研修所(現在の二十一世紀自然研修道場)での諸行事に出席するため、東京を発った。 出発の前に、彼は、母・幸のもとに、「母」の歌のテープを届けてもらった。 母の容体は、幸いにも小康状態が続いていた。そして、…

小説「新・人間革命」 母の詩 36 11月12日

植村真澄美と松山真喜子は、「もう少し、歌いやすい曲に」という山本伸一の思いに応えようと、苦心を重ね、曲を作り直した。 彼女たちは、ようやく出来上がった「母」の歌をテープに吹き込み、八月四日の夕刻に本部に届けた。その夜、伸一は、妻の峯子とテー…

小説「新・人間革命」 母の詩 35 11月11日

七月十八日、「人間革命の歌」が完成した時、山本伸一は、植村真澄美と松山真喜子に言った。 「あなたたちに、頼みたいことがある。私の作った『母』の詩に、曲をつけてもらえないだろうか。 もちろん、自由詩だから、そのまま、曲をつけるのは難しいと思う…

小説「新・人間革命」 母の詩 34 11月10日

山本伸一は、子に愛を注ぐ母という存在は、戦争に人を駆り立てる者との対極にあり、「平和の体現者」であると見ていた。 彼は、詩「母」のなかで詠んだ。 「だが母なる哲人は叫ぶ―― 人間よ 静かに深く考えてもらいたい あなたたちの後ろにも あなたたちの成…

小説「新・人間革命」 母の詩 33 11月9日

七月十四日、山本伸一に代わって、妻の峯子が、長男の正弘、次男の久弘、三男の弘高と共に、母の幸を見舞った。正弘は二十三歳、久弘は二十一歳、弘高は十八歳になっていた。 「おばあちゃん、早く元気になってよ」 三人が、次々にこう言って、手を握り締め…

小説「新・人間革命」 母の詩 32 11月8日

山本伸一は、母は危篤状態を脱したとはいえ、余命いくばくもないと感じていた。 ゆえに、彼は、この機会に、仏法で説く死生観を、語っておきたかったのである。 「お母さん。また、大聖人は、信心し抜いた人は、『い(生)きてをはしき時は生の仏・今は死の…

小説「新・人間革命」 母の詩 31 11月6日

山本伸一は、母の幸に、日寛上人の「臨終用心抄」を要約して講義し、力強く訴えた。 「日蓮大聖人は、題目を唱え抜いていくならば、成仏は絶対に間違いないと、お約束されています。 伝教大師が受けた相伝にも、『臨終の時南無妙法蓮華経と唱へば妙法の功に…

小説「新・人間革命」 母の詩 30 11月5日

山本伸一の母・幸は、一九七六年(昭和五十一年)に入ってからも、六月には、元気に関西旅行に出かけた。しかし、月末から体調が優れず、床に伏す日が多くなっていった。 七月初旬には、何度か、危篤状態に陥ったのである。 伸一が見舞った時、母は、既に酸…

小説「新・人間革命」 母の詩 29 11月4日

母の幸は、学会本部に来る時には、よく自分で縫った黒い羽織を着ていた。 本部は、広宣流布の本陣であり、歴代会長の精神が刻まれた厳粛な場所である。正装して伺うのが当然である――というのが、母の考えであった。 息子が会長であるからといって、公私を混…

小説「新・人間革命」 母の詩 28 11月3日

山本伸一の父・宗一が他界し、入棺した時、母の幸は、慟哭した。 伸一が、初めて目にする母の姿であった。 彼は、日記に綴った。 「……父との旅。母の心情は、心境は誰人にもわからぬであろう。長い、楽しい、苦しい、旅路であったことであろう。英知、地位…

小説「新・人間革命」 母の詩 27 11月2日

山本伸一の父・宗一は、一九五六年(昭和三十一年)十二月十日、六十八歳で他界した。母の幸と、二人三脚で歩み抜いてきた生涯であった。 伸一は、その日の日記に、こう記した。 「私を、これまで育ててくれた、厳しき、優しき父が、死んでしまった。嗚呼。…

小説「新・人間革命」 母の詩 26 11月1日

明るく、忍耐強かった母。どんな時も、笑顔を失わなかった母――。 山本伸一は、その母が、声を押し殺し、背中を震わせて、すすり泣く後ろ姿を目にしたことがあった。 一九四七年(昭和二十二年)五月、長兄・喜久夫が、ビルマ(現在のミャンマー)で戦死した…