小説「新・人間革命」 母の詩 28 11月3日

 山本伸一の父・宗一が他界し、入棺した時、母の幸は、慟哭した。
 伸一が、初めて目にする母の姿であった。
 彼は、日記に綴った。
 「……父との旅。母の心情は、心境は誰人にもわからぬであろう。長い、楽しい、苦しい、旅路であったことであろう。英知、地位、財産、虚栄、すべてを超越した、真実の愛の妻の涙であろう。
 ああ平凡の中の、偉大なる母、そして父よ」
 その後、兄弟たちも、次々と信心を始めた。
 母は、次兄と共に暮らし、懸命に信心に励んだ。そして、伸一が、元気に、広宣流布のために活躍できるようにと、いつも真剣に祈り続けてくれていた。
 伸一は、努めて母と会おうと思っていたが、なかなか時間が取れず、足を運ぶことができた回数は、決して多くはなかった。
 彼は、せめてもの感謝の気持ちとして、折あるごとに伝言を添えて、着物など、心づくしの贈り物を届けた。妻の峯子と三人の子どもたちも、幸を心から慕っていた。
 伸一は、第三代会長に就任すると、ますます多忙を極め、母とゆっくり会う機会はめったになかった。でも、会えば母は、「私のことは、何も心配しないでいいから。体だけは丈夫にね」と言うのである。
 また、何かあると、江戸前の海苔や、煮物など手料理を届けてくれた。
 母は、自分を犠牲にして、たくさんの子どもを育ててきた。
伸一は、その恩に報いるためにも、元気なうちに旅行もしてもらおうと、尽力した。母は、楽しそうに出かけて行って、その地の学会員との出会いを喜びとしていた。母の笑顔を見ることが、彼は、何よりも嬉しかった。
 母は子に、無尽蔵の愛を注いで育ててくれる。
子どもは、大威張りで、母に甘える。母が老いたならば、今度は、子どもが親孝行し、恩返しをする番である。子どもに、その「報恩」の自覚がなくなってしまえば、最も大切な人道は失せてしまうことになる。