2015-07-01から1ヶ月間の記事一覧

小説「新・人間革命」 勝利島5 2015年 7月25日

広宣流布を推進するリーダーにとって大事なことは、自分の担当した組織のすべてのメンバーに、必ず幸せになってもらおうという強き一念をもつことだ。 そして、人間対人間として、誠実に交流を図り、深い信頼関係を結んでいくことである。 その素地があって…

小説「新・人間革命」勝利島4 015年 7月24日

山本伸一は、各地を訪問した折に、家族のなかで、ただ一人、信心に励んでいるという婦人などと、懇談する機会がよくあった。 そのなかには、「夫は、今は活動しておりませんが、かつては信心に励んでいた時期もありました」という人もいた。 なぜ、活動から…

小説「新・人間革命」勝利島3 2015年 7月23日

十月五日の全国県長会議で山本伸一は、広宣流布を担う人材の生き方についても言及している。 「広宣流布の活動の世界、舞台は、あくまでも現実の社会です。 社会を離れて仏法はありません。 したがって、私たちは、社会にあって、断固、勝たねばならない。 …

小説「新・人間革命」勝利島2 2015年 7月22日

山本伸一は、世界平和の確かな潮流をつくるために行動することも、今世の自身の使命であると、強く自覚していた。 それゆえに、各国の識者、指導者との語らいを重ね続けた。 九月の中国訪問のあとも、二十七日には、北京大学の周培源学長をはじめとする中国…

小説「新・人間革命」勝利島1 2015年 7月21日

不屈の精神は、不屈の行動を伴う。 寄せ返す波浪が、いつしか巌を穿つように、粘り強い、実践の繰り返しが、偉大なる歴史を生み出す。 ロシアの文豪トルストイは記す。 「行動はすべて信仰から出る」(注)と。 自らの使命を自覚し、勇んで活動する人の胸に…

小説「新・人間革命」 革心68 2015年 7月20日

答礼宴は、感動のなかに幕を閉じた。 山本伸一は、帰途に就く一人ひとりと握手し、再会を約した。峯子も隣で、満面の笑みで御礼の言葉を述べ、見送っていた。 鄧穎超は、その峯子の手を、何度も強く握り、じっと目を見つめながら語った。 「今日は本当にあり…

小説「新・人間革命」 革心67 2015年 7月18日

答礼宴の最後に、訪中団が、心からの感謝の気持ちを込めて、日本語で「愛する中国の歌」と、中国語で「春が来た」を合唱した。 歌のあとで山本伸一は、鄧穎超に言った。 「明春、桜の満開のころ、鄧穎超先生が日本に来られることをお待ちしています」 大き…

小説「新・人間革命」 革心66 2015年 7月17日

鄧穎超は、周志英が香港の出身であると聞くと、広東語で話し始めた。 周恩来と結婚したあと、広東省で活動した経験をもつ彼女は、広東語も堪能であったのだ。 母国語でない北京語と日本語を駆使して通訳に奮闘してきた周志英にとって、広東語を使えることで…

小説「新・人間革命」 革心65 2015年 7月16日

食事の途中、廖承志会長の夫人・経普椿が、そっと夫に薬を渡した。鄧穎超は、その様子を温かい目で見つめた。 「廖承志は、良い?看護婦?がついていて幸せですね」 すると、経普椿が言った。 「実は、いつも、ちゃんと薬を渡しているのに、帰って来たあとに…

小説「新・人間革命」 革心64 2015年 7月15日

答礼宴のあいさつで、山本伸一は、関係者の厚情に包まれ、実り多き九日間を送れたことに謝意を表し、話を続けた。 「今回、私どもは、多くの人民の生き生きとした姿のなかに、『四つの現代化』へのたくましい前進と、それが見事に結実していく様子を見ること…

小説「新・人間革命」 革心63 2015年 7月14日

李先念副主席との会見が行われた十九日の午後六時半、中国側の関係者を招待して、山本伸一主催の答礼宴が開かれた。 会場は、故宮博物院の北西に位置する北海公園の瓊華島にあるレストラン「ホウ膳飯荘」であった。 北海公園は、現存する中国最古の宮廷庭園…

小説「新・人間革命」 革心62 2015年 7月11日

李先念副主席との会見で山本伸一は、中国と米国の関係についても、率直に質問した。 「国交正常化を前提として、中米条約のようなものを結ぶ考えは、おもちでしょうか」 中米の国交については、一九七二年(昭和四十七年)二月に、ニクソン大統領が訪中。 そ…

小説「新・人間革命」 革心61 2015年 7月10日

山本伸一は、李先念副主席の話に、思わず身を乗り出していた。 「大事なご意見です。それで、留学生の数は、何人ぐらいをお考えでしょうか」 「留学生は数百にとどまらず数千、いや、一万人ほどになるかもしれません」 「それは、日本だけの数でしょうか」 …

小説「新・人間革命」 革心60 2015年 7月9日

帰国前日の九月十九日、山本伸一は、午前九時半から人民大会堂で、副総理でもある李先念党副主席と会見した。 副主席とは初訪中の折、二時間余にわたって語り合っている。 伸一は、激務の日々を送る副主席の健康を気遣い、こう語り始めた。 「私は政治家で…

小説「新・人間革命」 革心59 2015年 7月8日

図書贈呈式に続いて、山本伸一たちは北京大学構内にある「臨湖軒」に招かれ、交歓のひと時をもった。 日本語科の学生らが、沖縄民謡の「安里屋ユンタ」や、「故郷」を日本語で披露。教職員らの歓迎演奏もあった。 その夜、宿舎の北京飯店に、四人の青年が訪…

小説「新・人間革命」 革心58 2015年 7月7日

十八日の午後四時過ぎ、山本伸一は、創価大学の創立者として北京大学を訪問した。 四年前の訪中で、日中の文化交流のために、同大学へ五千冊の日本語書籍を贈呈したのに続いて、今回は、自然科学の専門書など千二百冊を寄贈することになっていた。 周培源学…

小説「新・人間革命」 革心57 2015年 7月6日

鄧穎超は、自分のことだけでなく、中日友好協会の林麗ウン理事も、全国婦女連合会の執行委員に就いたことを語った。 林麗ウンは、周恩来総理と山本伸一が会見した際、通訳を務めた女性である。 歓談の半ば、伸一と同じテーブルに着いていた孫平化秘書長が、…

大白蓮華 2015年(平成27年)6月号(No.787)

青年よ、不退の根を張れ! 創価学会名誉会長 池田大作 青年の勇気は無敵だ。それは何も恐(おそれ)れない。 青年の勇気は無限だ。それは決して諦(あきら)めない。 「人生とは闘争(とうそう)であり、立ち向かう勇気を示すべき場である」と、アメリカ・ルネ…

大白蓮華 2015年(平成27年)5月号(No.786)

後継の光の君よ、学び勝て! 創価学会名誉会長 池田大作 「人」を育て、未来へ伸ばそう! 「人材」をつくり、社会へ送り出そう! 無窮(むきょう)の光は、「人づくり」から生まれる。 「若き心は豊かな大地である。時に適(かな)っていれば、一言の種であ…

大白蓮華 2015年(平成27年)4月号(No.785)

創価桜の道ひらけ! 創価学会名誉会長 池田大作 毎日毎朝、私の心に響いてくる足音がある。 それは、日本列島のあの道この道で、聖教新聞の配達の歩みを進めてくださっている、尊き「無冠(むかん)の友」の足音である。 その一歩一歩が、友に今日一日の前進の…

小説「新・人間革命」 革心56 2015年 7月4日

歓迎宴は、和気あいあいとした雰囲気のなか、各テーブルで語らいが始まった。 山本伸一は、鄧穎超に尋ねた。 「『日中平和友好条約』の批准書交換のために、廖承志先生が、副総理の鄧小平閣下と共に来日されると伺っています。大変に嬉しいことです。 鄧穎超…

小説「新・人間革命」 革心56 2015年 7月4日

歓迎宴は、和気あいあいとした雰囲気のなか、各テーブルで語らいが始まった。 山本伸一は、鄧穎超に尋ねた。 「『日中平和友好条約』の批准書交換のために、廖承志先生が、副総理の鄧小平閣下と共に来日されると伺っています。大変に嬉しいことです。 鄧穎超…

小説「新・人間革命」 革心55 2015年 7月3日

歓迎宴が始まった。 主催者である中日友好協会の廖承志会長があいさつに立った。 彼は、中国と日本の平和友好条約締結の佳節に訪中団を迎えた喜びを伝えたあと、両国の友好関係は新しいスタートラインに立ったとして、感慨を込めて語った。 「この時にあたり…

小説「新・人間革命」 革心54 2015年 7月2日

「山本先生! 嬉しいです。お会いできる日を、指折り数えて待っていました!」 九月十七日夜、訪中団一行の歓迎宴が行われる人民大会堂の会場入り口で、中日友好協会の廖承志会長は、こう言って大きく両手を広げ、山本伸一を迎えた。 「廖先生! 『日中平和…

小説「新・人間革命」 革心53 2015年 7月1日

趙樸初副会長の話に、山本伸一は頷いた。 「おっしゃる通りです。仏の真意は何かを正しく知らなければ、混乱を招きます」 趙樸初は、ニッコリして言った。 「その点、創価学会の皆さん方は、仏法を正しく理解しています。 それは、民衆のなかに、仏法を展開…

小説「新・人間革命」 革心52 2015年 6月30日

山本伸一たち訪中団一行が、南京から北京空港に到着したのは、午後七時四十分(現地時間)であった。 秋冷えのするなか、空港では、中日友好協会の張香山・趙樸初副会長、廖承志会長の夫人である経普椿理事をはじめ、多数の「友人」が出迎えてくれた。 既に…

小説「新・人間革命」 革心51 2015年 6月29日

廖仲愷が国民党の右派によって暗殺された時、子息の廖承志は十六歳であった。 仲愷の妻・何香凝は、自宅の門に「精神不死」(肉体は殺せても、精神を殺すことはできない)との横幕を掲げて抗議し、毅然として新中国の建設のために戦い抜いた。 その彼女の闘…