小説「新・人間革命」 革心68 2015年 7月20日

答礼宴は、感動のなかに幕を閉じた。
山本伸一は、帰途に就く一人ひとりと握手し、再会を約した。峯子も隣で、満面の笑みで御礼の言葉を述べ、見送っていた。
鄧穎超は、その峯子の手を、何度も強く握り、じっと目を見つめながら語った。
「今日は本当にありがとうございました。心に残る一夜でした。山本先生のご健康と、お仕事の成就を祈ります」
「こちらこそ、わざわざお出でいただき、本当にありがとうございました」
――続けて峯子は、「どうか、ご無理をなさらず、ご静養なさってください」と言おうとして言葉をのんだ。鄧穎超の小さな体から、私は安穏など欲しない。命ある限り、人民のために働く!という、無言の気迫が感じられたからだ。
峯子が、「四月のご来日をお待ちしております」と言うと、柔和な笑みと、「私も楽しみにしていますよ」との言葉が返ってきた。
翌二十日は帰国の日である。伸一たちは午後一時過ぎ、北京の空港に到着した。見送りに来てくれた人たちと対話が弾んだ。
廖会長夫人の経普椿との語らいにも花が咲いた。鄧穎超のことに話が及ぶと、彼女は言った。
「周総理が亡くなられて、どれほど寂しかったことかと思います。しかし、亡くなられた時も、涙はこぼされませんでした。
夫人の泣いたのを見たことがありません。自分が泣いたら、皆を、さらに悲しませてしまうと、ご自身と闘い、感情を押し殺していたんです。強い人です。人民の母です。
最愛の人を失った悲しみさえも、中国建設の力にされているように思います」
鄧穎超は、まさに革心の人であった。
常に自らの心と闘い、信念を貫き通してこそ、人間も、人生も、不滅の輝きを放つ。
彼女は、「恩来戦友」と書いて、夫の周恩来を追悼した。
そこには、生涯、革命精神を貫くとの万感の決意が込められていた。
眩い陽光のなか、友誼の握手を交わし、一行は機上の人となった。
新しい日中友好の希望の大空へ、機は飛び立った。 (この章終わり)