2013-03-01から1ヶ月間の記事一覧
〈男子部の友へ〉 若き広布の英雄たる君たちの勇敢な戦いによって、世界広宣流布の素晴らしき時代に入りました。 いつもいつも、本当にありがとう! 何よりも、直系の君たちが、すくすくと、立派に成長してくれていることが、私にはうれしくてならない。 御…
いよいよ“伝統の2月”を迎える。新しい人を伸ばし、新しい力を引き出すのだ。 師の期待に応えて、私は立った。身近な人から対話を広げ、足元から新たな同志をつくっていったのである。 さあ行動開始だ。 今こそ、信心で、自分自身の壁を破るのだ。広布に戦え…
戸田先生は、広布の同志を心から讃え、大切にされた。 「これほど尊い使命を持った人はいない。この庶民の方々がいなければ、広宣流布は夢のまた夢である。健気な学会員を、どこまでも大事にしていくのだ」と。 峻厳なる師の叫びを、私は後継のリーダーに託…
〈未来部の友へ〉 わが愛する未来部の皆さん! 新しい一年の出発、おめでとう! 尊い担当者の皆様、今年も、よろしくお願いします。 未来部の皆さんが、健康で、元気に、成長してくれていることが、私の一番の喜びです。 皆さんのことは、いつ、いかなる時も…
山本伸一が参加者に視線を注ぐと、和服を着た一人の老婦人が、「先生!」と言って、イスから立ち上がった。 伸一は、笑顔を向けた。 「やあ、しばらくです! お元気そうでよかった!」 「私のことを、覚えておいでなのですか」 「もちろんです。お題目を送っ…
山本伸一は、二十一世紀の広宣流布の伸展は、仏法者の常識豊かな行動を通して、人格への共感、信頼、尊敬を勝ち取っていくなかでなされていくものであると確信していた。 「信心即人格」であり、そこに、信仰のすばらしさの証明もある。ゆえに、常識豊かな行…
山本伸一の提案による勤行指導会は、前日の本部幹部会の録音テープを聴いたあと、午前十一時から開始された。 伸一の導師で勤行したあと、副会長、理事長のあいさつがあり、会長指導となった。 彼は、懇談的に話を進めた。 「お休みのところ、大変にご苦労様…
本部幹部会が行われた日の夕刻、香川全県に「明二十二日の午前十一時から、庵治の四国研修道場で勤行指導会が行われる!」との連絡が、電撃のごとく走った。 連絡を聞いた会員は、皆、色めき立った。 『研修道場には山本先生がおられる。先生が出席されるに…
本部幹部会終了後、山本伸一は、副会長らと懇談した。その時、四国長の久米川誠太郎が切り出した。 「香川のメンバーから、連日、『山本先生にお会いしに四国研修道場に行きたい』との声が届いております。 もし、よろしければ、なんらかの会合をもっていた…
山本伸一は、本部幹部会での指導を終えると、「庵治の支部長! 長野支部長!」と、長野栄太を呼んだ。 長野が立ち上がり、伸一の前へ来た。 「長野支部長に、記念として『光桜』と揮毫させていただきましたので、それを、お贈りします」 揮毫した書が長野に…
ここで山本伸一は、組織の中心者や幹部になると、さまざまな報告を受ける機会があるが、その際の心構えについて語った。 「幹部であることによって、組織上、個人情報、プライバシーについて知り得ることもあるでしょう。 しかし、私どもには、当然、守秘義…
山本伸一は、各支部にあっては、地域広布を担ううえから、具体的な拡大の目標を定めて活動に取り組んでいくことが大事であると強調した。 そして、こう話を続けた。 「支部制の発足により、広宣流布の歩みは加速され、二十一世紀をめざして、学会活動の在り…
長野栄太は、頬を紅潮させながら語った。 「わが支部は、『座談会の庵治支部』をモットーに、『活発』『確信』『体験』『和楽』の民衆のオアシスを現出していきます。 この明るく、楽しい、語らいの場を通して、弘教の力強い波動を、わが庵治の地から、全国…
“総ブロック長が支部長になる!” 長野栄太は、一月六日の新春本部幹部会で発表された「支部制」の出発を、緊張の思いで聞いた。 それからほどなく、会長の山本伸一が出席して、四国研修道場で一月度の本部幹部会が開かれることを知ったのである。 しかも、そ…
長野栄太は、総ブロックの壮年一人ひとりと会っていこうと決意はしたものの、職場の当直が月に八回もあった。また、幹部会や座談会など学会の会合もある。 回れる日は限られたが、時間を工夫しては、大ブロック長と共に激励に歩いた。 家を訪ねても、未活動…
長野栄太は、医師という立場から、ハンセン病に対する人びとの誤解を解くとともに、入所者の社会復帰を図るために、さまざまな努力を重ねてきた。 その一方で、慈悲の医学の実践者として『同苦』の心を培っていこうと、真剣に信心に励んできた。 彼は、大島…
ハンセン病の研究、治療は、その後、さらに進んでいった。それまでの治療薬も効果はあったが、再発などもあった。 一九八一年(昭和五十六年)に、WHO(世界保健機関)は、新たな治療法として、数種類の薬剤を併用する多剤併用療法を推奨した。 その効果…
長野栄太は、〝ハンセン病は、病自体の治癒だけでなく、患者が精神的束縛から解き放たれ、心身の健康を取り戻してこそ、病の克服といえる〟と考えるようになった。 それには、〝社会的なつながりのなかで、ハンセン病への正しい知識を普及するとともに、患者…
長野栄太は、〝ハンセン病は、病自体の治癒だけでなく、患者が精神的束縛から解き放たれ、心身の健康を取り戻してこそ、病の克服といえる〟と考えるようになった。 それには、〝社会的なつながりのなかで、ハンセン病への正しい知識を普及するとともに、患者…
国立療養所大島青松園に赴任した長野栄太は、ハンセン病の治療にあたるだけでなく、“患者のために、生涯を捧げたい”と考えていた。 彼には、学生時代、医師を志すうえで、深く心に刻んだ御書の一節があった。 「一切衆生の異の苦を受くるは悉く是れ日蓮一人…
ハンセン病と診断され、「癩予防法」によって療養所に入れられると、社会とは隔絶された生活が続くのである。 また、一九四〇年(昭和十五年)には「国民優生法」が公布され、国民素質の向上を目的に、遺伝性の病にかかった人は、生殖機能を失わせる手術等を…
ハンセン病は、日本でも古くから知られていた病であったが、その対応が法律で定められたのは、一九〇七年(明治四十年)のことである。 「癩予防ニ関スル件」という法律がつくられ、ハンセン病と診断した場合、医師は行政官庁に届け出るとともに、その家は、…
長野栄太は、一九六二年(昭和三十七年)二月、十八歳の時に入会している。 大学の医学部に進む学資を工面するために、工事現場の資材倉庫を警備するアルバイトをしていた時、その建設会社の人から、仏法の話を聞かされたのだ。 工事現場は、建設中の創価学…
四国の五大学会の合同結成式で、長野栄太は山本伸一に尋ねた。 「ハンセン病で苦しむ人たちが多い国に渡って、患者を救いたいんです。 でも、すぐに行動すべきかどうか、迷っております」 「妙法の青年医師らしい心意気だね。しかし、決して焦ることはないよ…
山本伸一は、坂藤久美の抱負に、何度も頷きながら、耳を傾けていた。 「今、広布第二章の支部制発足にあたり、草創の先輩方の尊い精神をそのまま受け継ぎ、盤石な支部の建設のため、力の限り走り抜いていく覚悟です。 かつて支部婦人部長といえば、学会の『…
坂藤久美は、小学二年生の時に、母の弥栄と共に入会している。 弥栄の入会の動機は、自身が病弱であり、久美の妹にあたる次女もまた、 悪性の中耳炎で苦しんでいたことである。自分の体調の悪さに苛立ち、次女の将来を思っては不安にさいなまれる日々であっ…
一月二十一日午後、四国研修道場で一月度本部幹部会が盛大に開催された。 四国で本部幹部会が行われるのは、初めてのこととあって、集って来た人の顔は、皆、晴れやかで、誇らかであった。 この本部幹部会は、新支部体制の出発であり、席上、支部長・婦人部…
われら創価の団結は、広宣流布という崇高な目的に向かって進もうとする、純粋なる信心の志から生まれる。 同志を、互いに仏・菩薩と見る、真実の尊敬の念から始まる。 強い者に媚びへつらい、弱い人を蔑むような心根や、嫉妬と勝他の炎に胸を焦がす修羅の生…
大白蓮華 2013年(平成25年)3月号(No.759) 巻頭言 若き友よ、頭を上げよ胸を張れ! 創価学会名誉会長 池田大作 わが敬愛(けいあい)するアフリカの人権の大英雄マンデラ元大統領が、10代の若き日、心に刻(きざ)まれた指針がある。 「勇気をもって立ち向か…
大白蓮華 2013年(平成25年)2月号(No.758) 巻頭言 「仏の会座」から和楽の前進を 創価学会名誉会長 池田大作 忘れ得ぬ「アフリカの環境の母」マータイ博士は言われていた。 「私が世界中を訪問する中で、確信を込めていえることは、旅先で幸福な創価学会…