小説「新・人間革命」 勇将 27 2013年 3月15日

 ハンセン病の研究、治療は、その後、さらに進んでいった。それまでの治療薬も効果はあったが、再発などもあった。
 一九八一年(昭和五十六年)に、WHO(世界保健機関)は、新たな治療法として、数種類の薬剤を併用する多剤併用療法を推奨した。
 その効果は大きく、ハンセン病はほとんど再発などのない、完治する病気となった。
 日本では依然として、「らい予防法」によって隔離政策がとられ、「優生保護法」によって人工中絶なども続けられていた。
 「らい予防法」等が廃止され、隔離政策などが改められたのは、九六年(平成八年)のことである。あまりにも遅い対応といえよう。
 九八年(同十年)七月、元患者らは、国のハンセン病政策は、基本的人権を侵害するものとして国家賠償を求め、熊本地裁に提訴した。
 そして、二〇〇一年(同十三年)五月、地裁は、国に対して賠償を命じ、原告側の勝訴となった。
 政府内には、控訴を主張する声も強かった。判決には、法律論のうえから、重大な問題があるとの意見もあった。
 しかし、厚生労働大臣坂口力は、入所者の多くが既に高齢であることから、「法律面では多くの問題があるが、人道面を優先させるべきだ」(注1)とし、控訴すべきではないと強く訴えた。結局、小泉純一郎首相は「控訴断念」を決め、談話を発表した。
 「施設入所政策が、多くの患者の人権に対する大きな制限、制約となったこと、また、一般社会において極めて厳しい偏見、差別が存在してきた事実を深刻に受け止め、患者・元患者が強いられてきた苦痛と苦難に対し、政府として深く反省し、率直にお詫びを申し上げるとともに、多くの苦しみと無念の中で亡くなられた方々に哀悼の念を捧げる」(注2)
 この翌月には、ハンセン病の療養所入所者等への補償法が公布されている。
 苦汁をなめさせられ続けてきた人びとに、ようやく人道の光が差した。しかし、国の犯した過ちは、決して償いきれるものではない。