小説「新・人間革命」 勇将 28 2013年 3月16日

長野栄太は、医師という立場から、ハンセン病に対する人びとの誤解を解くとともに、入所者の社会復帰を図るために、さまざまな努力を重ねてきた。
 その一方で、慈悲の医学の実践者として『同苦』の心を培っていこうと、真剣に信心に励んできた。
 彼は、大島青松園に赴任した翌年の一九七六年(昭和五十一年)夏、やがて四国研修道場ができることになる香川県庵治町に、高松市から転居した。
 翌年九月に男子部から壮年部に移行し、三十三歳で庵治の総ブロック長になったのである。
 総ブロック長としての出発となる壮年の会合は、大盛況であった。
 部員数の八割近い壮年が集って来た。  ほぼ全員が、自分よりも年上である。
長野は、「私は、皆さんに仕えていくつもりで、全力で活動に取り組んでまいります!」と元気にあいさつし、拍手に包まれた。好調なスタートであると思った。
 しかし、次の会合から、参加者は激減した。
 『あれだけいた人が、どこに消えてしまったのか』──その思いを、年配の大ブロック長(現在の地区部長)に漏らすと、すぐに答えが返ってきた。
 「前の会合に皆が来たんはな、総ブロック長が若いのに代わったと聞いて、どんな男か、顔を見に来ただけやけんの」
 愕然として、大ブロック長に尋ねた。
 「どうすれば、いいんでしょうか」
 「長野さんは、総ブロック長になって、何人の人と会うたんかのー」
 思わず言葉に詰まった。ほとんど、激励に回ってはいなかったからだ。
 「回らんと、人は集まらん。人と会うのが、学会活動の基本やし、仏道修行じゃないんかのー。
 自分は、十年間かかって、大ブロックで十数人の壮年が集まるようになったけんの。
 これからは、あんたがどんだけ回って、何人の人と会うて、人材を育てていくかやの」
 その言葉が、胸に突き刺さった。
 『その通りだ。よし、仏道修行をして、自分を磨こう!』と決意した。