小説「新・人間革命」 勇将 29 2013年 3月18日

長野栄太は、総ブロックの壮年一人ひとりと会っていこうと決意はしたものの、職場の当直が月に八回もあった。また、幹部会や座談会など学会の会合もある。
 回れる日は限られたが、時間を工夫しては、大ブロック長と共に激励に歩いた。
 家を訪ねても、未活動の壮年の場合、信心に励んでいる夫人が、『夫を会わせてよいものか』と、躊躇してしまうこともあった。
 『夫が機嫌を損ねてしまったり、怒りだしたりしないか』と、心配していたのだ。
 そんな時には、「ご主人に不快な思いをさせ、怒らせるようなことはしませんから」と、夫人を説得することから始めなければならなかった。
 壮年と会い、懇談を重ねるなかで、会合に参加し、勤行する人が次第に増えていった。
 また、長野が経験したことのない悩み事に出合うこともあった。そのなかには、「思春期に入った子どものことで悩んでいる」という相談もあった。
 長野の子どもは、上の子がまだ小学一年生である。思春期の子どものことは、よくわからなかった。そうした時には、同様の悩みを克服した体験をもつ人に、会ってもらうようにした。
 彼は、『和楽の家庭を、幸せな一家を築いてもらいたい』との思いで、どこまでも誠実に、足しげく通い、メンバーと会っていった。
 明るい笑顔の、幸せな家庭を築くことは、近隣、地域への、信心の実証となる。それは、地域広布の光となっていく。
 長野自身、仕事でも、さまざまな課題が山積していた。身も心も、へとへとに疲れ果ててしまうこともあった。
 しかし、『自分が歓喜していなくて、どうして人を燃え上がらせることができるのだ!』と、自らに言い聞かせ、真剣に唱題しては同志の激励に回った。
 その成果が着実に実り始めた一九七七年(昭和五十二年)の年末、彼の総ブロックのなかに、四国研修道場がオープンしたのだ。
 そして、その喜びが冷めやらぬなか、年が明けると、広布第二章の「支部制」が発表されたのである。