2010-03-01から1ヶ月間の記事一覧
★名字の言 ▼いつもの道が明るい。光が吹き出しているようなユキヤナギ、黄金色に輝くレンギョウ・・・。花々が春の到来を告げている ▼今月16日、卒業式を迎えた東京・創価学園に、今年も「菜の花」が届いた。この花が県の花である千葉県の婦人から。一本…
山本伸一がグラウンドに姿を現すと、大地を揺るがすような拍手と歓声が空に舞った。 彼は、「ご苦労様!」「ありがとう!」「おめでとう!」と、皆に語りかけながら手を振り、グラウンドを一周した。 第十回学光祭が始まった。 「通教常勝太鼓」が轟き、次い…
一九八二年(昭和五十七年)四月には、教育学部の通信教育課程が開設された。これによって、小学校や幼稚園の教員免許状、社会教育主事任用資格の取得も可能になったのである。 創大通教は、年ごとに学生も増え、民衆教育の大城として、発展を重ねていった。…
「学は光」の合唱を聴いた山本伸一は、真っ先に拍手を送りながら、隣にいた教員に語った。 「通教生の負けじ魂が、あふれていますね。この“負けるものか!”という一念が、人間を鍛え、強くするんです」 第五回学光祭には、春に卒業した通教の第一期生たちも…
通信教育部開設五年目の一九八〇年(昭和五十五年)八月、夏期スクーリング中に行われた第五回学光祭には、山本伸一も、初めて出席した。 十二日の夕刻、会場の中央体育館に向かう伸一の足取りは軽かった。通教生と会えると思うと、彼の胸は躍るのだ。 通教…
心に勇気の光源を持つ人は、苦しみの暗夜に打ち勝つことができる。闇が深ければ深いほど、仰ぎ見る太陽はまばゆい。「暁は夜から生れる」(注)とは、インドネシアの女性解放の先駆者カルティニの叫びである。 今井翔子は、吐き気などの苦痛にさいなまれるな…
★名字の言 ▼日本選手の健闘が光ったバンクバー・パラリンピック。一方、外国勢で最も注目を集めたのは、アルペンスキー檀紙立位で金4個、銀1個のメダルを獲得したドイツのシェーンフェルダー選手だろう ▼事故で右腕と左手の指を失ったため、ストックは持…
★名字の言 ▼博士号を取得した創価学園卒業生。創立者の池田名誉会長が受賞した名誉学術称号。いずれも今月、280となった ▼「二つの数の不思議なる符合こそ、ひとえに池田先生の世界平和と教育への卓越したご貢献の証し」と、中国・西安交通大学の王建華…
★名字の言 ▼「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」。この季節、在原業平のような心境の方もいることだろう。桜はいつごろ咲くのか。咲けば咲いたで、きょうの雨や明日の風で散ってしまわないか・・・。さまざまに心騒がす。実に不思議な…
★名字の言 ▼米大リーグ・エンゼルスの松井秀喜選手は4年前、捕球の際に左手首を骨折。手術した腕の中には今なお、骨を固定しているボルトとプレートが残されている ▼常に前向きな姿勢でと心掛けてきた。だが、けがのショックは大きく、すぐには気持ちを切…
★名字の言 ▼ある幼稚園の教員が園児を「双葉」に譬えていた。植物が芽を出した時の、2枚の小さな葉っぱの状態。外見は皆、今は同じに見える。丁寧に育てると、やがて本葉が出て、個性豊かな花が咲く、と ▼育て方はさまざまあるが、大切なのは言葉だろう。…
★名字の言 ▼「聞く」と「聴く」-どう違うのか。「聞く」は、受け身で自然に音が耳に入ることを表している。「聴く」は、字の中に「目」や「心」もあり、全身全霊を傾けて聞くことに集中する意味がある。「それは、話すこと以上に大変なこと」と、津田塾大…
御聖訓 天晴れぬれば地明らかなり 仏法は最高の人間学 諸君は時代を照らす希望の太陽 熊沢女子部長 今、各地の友と語り合う中で、「仕事が忙しくて、なかなか思うように学会活動の時間がとれない」という悩みを多く聞きます。 池田名誉会長 多忙な中で、少し…
どん底から立って 一切を変毒為薬 棚野 今、経済不況の中、仕事の悩みも千差万別です。倒産やリストラと戦う友もいます。人員削減のため、一人で抱える仕事量が急激に増えたメンバーもいます。夜勤が続いたり、なかなか休みがとれなかったりなど、状況はさま…
日蓮仏法の実践の舞台は現実社会 「今」「ここで」勝利者と光れ どんな立場であれ、誠心誠意に徹した青年が、信用という最高の財産を築くことができるのです 熊沢女子部長 第1回の「師弟誓願の祈り」には、全国の青年部員から多くの感動と感謝の声が寄せられ…
御聖訓 願わくは我が弟子等 大願を起こせ 広宣流布へ 師弟の誓願に生き抜け 万人の「仏の生命」開く大闘争を! 隣のドミニカ共和国の尊き同志も救援に尽力してくれ、復興を目指して第1回の座談会が力強く行われます。 私たちは、誓願の祈りで、深く強く結ば…
世界一の大哲学を胸に進め! 御書は希望 勇気 智慧の泉 池田名誉会長 時代は、大きく動いている。激動の時こそ、青年の出番だ。 青年には勇気がある。青年には活力がある。青年にはビジョンがある。 いよいよ青年が、壮大な「世界広宣流布」の一切を担い立つ…
築け!広宣流布の人材の城を 山梨に 功徳の太陽 昇りゆけ 春爛漫の 心踊りで 池田名誉会長はかつて、山梨の友に贈った。 「春爛漫」が、もうすぐ甲斐の里にやってくる。 陽光が富士の白雪を照らし、桃の絨毯が里を彩る。その名もゆかしい笛吹川は、雪解けの…
永遠平和の象徴の天地たれ 突然、大粒の雨がフィールドをたたき始めた。雨脚は次第に強くなる。 昭和58年(1983年)3月21日、3万人の沖縄平和文化祭。 演技する友の顔が激しい雨で霞む。衣装はぬれ、袖口から水滴が落ちる。地面には無数の水たまり。動くた…
「学園生は私の宝! 私の命!」 最寄りの駅から、一本の道が山裾に沿って、なだらかに続く。緑がまぶしい。野鳥はさえずり、花々が躍り咲く。万葉の詩情が薫る大阪・交野。自然の名画が広がっていた。 関西創価学園へと続くこの道を多くの生徒が通い、逸材が…
励まそう 一人でも多く! 宮崎研修道場に着いた池田名誉会長が、そのまま庭の方へ歩き始めた。 平成11年(1999年)2月26日午後。沖縄から空路、宮崎に飛び、車で20分ほど走った、その足である。 庭では、「守る会」をはじめ3人の友が、手を真っ黒にしな…
創価ルネッサンスの太陽は昇った 「会う友は、一人残らず励まし、思い出をつくってさしあげたい」ー昭和49年(1974年崖)2月15日、池田名誉会長は学会本部から千葉へ向かった。 午後8時半、外房線の大原駅着。列車を降りるや、真っ先に駅構内にいた1…
ここから新しい立川を作ろう 立川の、そして第2総東京の同志が“立文”の愛称で慕う「立川文化会館」。 地上5階建て。目を見張る威容。大型会館の先駆けとして誕生した同会館は、立川の友にとって、大きな誇りであり希望であった。全国の同志の憧れだった。 …
法学部の卒業証書の授与で、「今井翔子」という名前が呼ばれると、ひときわ大きな祝福の拍手が響いた。今井は、長崎から来た三十代半ばの主婦で、耳が不自由であった。 彼女は、学友に背を押されると、さっそうと前に進み出た。 ――それは、中学一年の時であ…
一九八〇年(昭和五十五年)二月十日、全国二十五会場で、各科目の試験が行われた。卒業をかけて挑戦する第一期生も多かった。 三月九日には、創価大学で卒業面接試験が実施された。そして、経済学部九十九人、法学部百三十人、合計二百二十九人の卒業が決…
全国通教生大会に集った人たちには、青年もいれば、壮年や婦人もいた。なかには、七十歳を超えていると思われる白髪の老婦人の姿もあった。まさに老若男女が集っていた。 また、職業も、出身地も、千差万別である。 しかし、それぞれが置かれた状況のなかで…
第一回「全国通教生大会」の終了後、通教生と、松風合宿所前の階段で、記念のカメラに納まった山本伸一は、皆に訴えた。 「仕事、勉強と、皆さんは、日々、大変かもしれない。しかし、置かれた状況が厳しければ厳しいほど、人間修行の環境が整っているという…
社会保険労務士の試験は、決して容易ではなかった。藤野悦代は、一度目の試験には失敗した。しかし、翌一九七一年(昭和四十六年)、二度目の挑戦で合格の栄冠を手にしたのだ。 女性の社会保険労務士としては、彼女の住んでいた滋賀県の近江八幡市で、第一号…
一九七九年(昭和五十四年)の夏期スクーリングの折には、通教生に対する、二度目の国家試験の説明会が開かれた。 この時、社会保険労務士の合格体験を発表したのが、通教の法学部で四年目を迎えた藤野悦代であった。彼女は、八年前に三十四歳で社会保険労…
岩川武志は、当初、最難関といわれる司法試験をめざそうと思った。だが、自分の置かれた状況を考え、司法書士試験に挑戦することにした。 独学で勉強を始めた。通信教育の勉強のうえに、さらに、試験勉強である。しかし、困難であればあるほどファイトがわい…