小説「新・人間革命」  3月20日 学光45

 法学部の卒業証書の授与で、「今井翔子」という名前が呼ばれると、ひときわ大きな祝福の拍手が響いた。今井は、長崎から来た三十代半ばの主婦で、耳が不自由であった。
 彼女は、学友に背を押されると、さっそうと前に進み出た。
 ――それは、中学一年の時であった。家庭科の授業中、悪ふざけをして彼女の頭上を飛び越そうとした友だちの踵が、頭のてっぺんを直撃した。
 帰宅後、激しい頭痛に襲われた。高熱が二週間も続いた。吐き気、目まいも起こり、以来、人の話が聞き取りにくくなった。
 高校は進学校に進んだが、症状は次第に悪化。最前列にいても教師の声が聞き取れず、試験日の発表さえ、聞き逃してしまうこともあった。当然、勉強にもついていけず、大学進学も断念せざるをえなかった。
 十八歳で右耳を手術したが、かえって、全く聞こえなくなってしまった。
 高校を卒業した今井は、洋裁店に勤めた。人の口の動きや表情から、何を言っているのか、必死で読み取って仕事をした。
 二十三歳の時、最後の望みを託して、左耳を手術する。しかし、その左耳までも、聴力を失う結果となったのである。絶望の淵に叩き落とされた。
 その後、彼女のことを深く理解する青年からプロポーズされ、結婚。三人の娘に恵まれ、育児に追われる日々が続いた。
 そんななかで、創価大学の通信教育部が開設されることを知った。
 通教で学問を身につけよう。娘たちが誇りに思える母親になりたい!
 子どもへの最高の教育とは、親が生き方の手本を見せることである。
 創大通教に入学した彼女は、育児と家事の傍ら、懸命に勉学に励んだ。
 しかし、あの事故に遭った時から、頭痛や耳鳴りが続いており、三十分も机に向かっていると、吐き気もしてくるのだ。それでも、身を横たえながら勉強を続けた。