2012-06-01から1ヶ月間の記事一覧
有志国とNGOで行動グループを! このように国際人道法の精神に加えて、「人権」や「持続可能性」という、同じ地球で暮らす以上は無関係では済まされない観点から問題提起することは、「核兵器のない世界」を目指す運動の裾野を大きく広げることになる。特…
「原水爆禁止宣言」発表から55周年 核兵器禁止条約の締結を 軍事的必要性の論理を打ち破る 次に最後の柱として、核兵器の禁止と廃絶に向けての提案を行いたい。 昨年3月に起きた福島での原発事故は、ある面で、1950年代以降に核保有国が各地で繰り返し行っ…
持続可能な未来に向けて人類共通の目標を設定 6月にブラジルで「リオ+20」の会議 災害に続き、第2の柱として取り上げたいのが環境と開発をめぐる問題です。 6月にブラジルで、国連持続可能な開発会議(リオ+20)が開催されます。 1992年の地球サミット…
時代変革のビジョンを共有し地球的課題への挑戦を? 続いて、人々の生存・生活・尊厳に深刻な影響を及ぼすさまざまな脅威を克服するための具体策について言及したいと思います。 その前に提起しておきたいのが、「平和の文化」の母と呼ばれたエリース・ボール…
かけがえのない一人を徹して励まし「自他共の幸福」を目指す 仏法の智慧は相手を思う慈愛の結晶 釈尊が説いた八万法蔵という膨大な教説も、その大半は、哲学者のカール・ヤスパースが「仏陀はひとりひとりに語り、小さなグループで語った」「一切の者にむか…
「同苦の心」「連帯の心」こそ人間の安全保障の精神的基盤 世界市民の自覚と持続可能性の視点 次に、第2の視座として提起したいのは、「一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を?らん者か」(御書31㌻)とあるように、“自分だけの幸福や安全もなければ、他人だ…
生きがいの喪失 さらに災害は、多くの人々の仕事や生きがいを奪い、“尊厳ある生”の土台を突き崩します。 私は現在、シドニー平和財団のスチュアート・リース理事長と「正義に基づく平和」をテーマに連載対談を行っています。その中で、人間の尊厳を損なう脅…
◇「生命尊厳の絆 輝く世紀を」(上) 2012-1-26 きょう26日の第37回「SGI(創価学会インタナショナル)の日」に寄せて、池田SGI会長は「生命尊厳の絆輝く世紀を」と題する提言を発表した。 提言ではまず、東日本大震災をはじめとする災害や世界的な経…
午後二時前、熊本文化会館の大広間に姿を現した山本伸一は、「さあ、皆で万歳を三唱し ましょう」と提案した。 喜びに満ちあふれた参加者の「万歳!」の声が、雷鳴のように轟いた。 伸一は、皆に視線を注ぎながら言った。 「今日の私の話は、簡単なんです。 …
勤行会のあと、山本伸一は、急いで仕事に取りかかった。どこにいても、さまざまな報告の書類や、会長として決裁しなければならない事項が山積していた。 執務の合間を縫うように、慌ただしく食事をし、また、執務を始めた。 しばらくすると、同行の幹部から…
五月二十九日、熊本文化会館の周辺には、朝から大勢の学会員が待機していた。山本伸一に一目会いたいと、熊本県の各地から来た人たちである。 文化会館の窓から、そうした人たちの姿を見た伸一は、県長の柳節夫に言った。 「私は、今日の午後には、東京に戻…
熊本の県幹部は、目を輝かせながら、山本伸一の話に聞き入っていた。 問題は、多種多様な個性をもつ人材が集まると、ともすれば、個性と個性がぶつかり合い、団結できなくなりがちだということです。では、どうすればよいのか。 そこで、『異体同心』の『同…
山本伸一は、人材育成について、さらに掘り下げて語っていった。 「学会の組織にあっても、陰で頑張ってくださっている方々は、城でいえば『裏込』にあたります。 組織の表舞台に立つリーダーは、そうした方々を心から尊敬し、大切にしていくことです。 その…
山本伸一は、乃木辰志の母親の近況について尋ねた。 「母は、東京に住んでおりますが、たまたま今日は、私のところに来ております」 「せっかくだからお会いしたいね。明日の昼、熊本文化会館に来ていただけるだろうか」 「はい。大丈夫です」 熊本に到着し…
乃木辰志の母親は、辰志と共に、熊本大学の学生部員らが集っているという下宿を訪ねた。 そこで、辰志を学生部のメンバーに紹介し、「くれぐれも息子をよろしくお願いします」 と頼み込んだのである。 やがて乃木は、母親が語っていた仏法の「生命の哲学」に…
乃木辰志は、二浪の末に、熊本大学の医学部に合格した。 母親は、息子の辰志が信心し、慈悲の哲学をもった妙法の医師になってほしいと、懸命に祈り続けてきた。 辰志が、受験勉強に明け暮れるなかで、自己中心的な考えに陥ってしまっている気がしてならなか…
山本伸一と熊本県の代表メンバーとの懇談会は、既に二時間近くが経過し、午後七時を回っていた。 伸一は、もっと皆と語り合いたかったが、懇談会を終了することにした。参加者は、県内各地から集って来ているため、遠い人は、帰宅するのに三時間ほどかかって…
山本伸一は、懇談会に参加していた、学生部の代表に視線を移した。 グレーのスーツを着て、メガネを掛けた、痩身の青年が立った。 「熊本大学の医学部五年の乃木辰志です。学生部の部長をしております。これまでに医学部の学友などと仏法対話を重ね、四人が…
山本伸一との懇談会に出席した、代表メンバーの報告は続いた。 熊本県北部の山鹿や、西部の天草、中南部の八代、南端の水俣など、一人ひとりの話に、伸一は、じっくりと耳を傾けていった。 前年、妻を癌で亡くしたという男子部の本部長の報告もあった。「妻…
熊本県の代表メンバーとの懇談会で、県長の柳節夫から、五木の同志の報告を聞いた山本伸一は語った。 「五木に伝わる子守唄の守子のような境遇の子どもたちを、なんとしても幸せにしたいというのが、牧口先生の思いであり、創価教育の原点です。 また、それ…
昭和に入ると、時代は、軍国主義化の度を深め、「滅私奉公」が声高に叫ばれていった。 そのなかで、個人主義にも、全体主義にも偏ることのない牧口常三郎の教育思想は、軍部政府の政策とは、相反する原理であった。 また、日蓮仏法と出合った牧口は、その教…
牧口常三郎の教育目的は、明快である。 「幸福が人生の目的であり、従って教育の目的でなければならぬ」 ──教育思想家としての彼の眼差しは、早くから、子どもの幸福の実現という一点を見すえていた。 それは、苦学の少年期、そして、北海道の教員経験、さら…
腹をすかせ、弁当も持たずに登校してくる子どものために、牧口常三郎は豆餅などを用意し、自由に食べられるようにした。当初、その費用は、すべて牧口が出していた。 やがて、給食の協力をしてくれる篤志家も現れた。「読売新聞」の一九二一年(大正十年)十…
一九二〇年(大正九年)六月、三笠尋常小学校、同夜学校の校長に就任した牧口常三郎は、同時に住居も、家族と共に学校内にある官舎に移した。 彼には、名門校の校長になりたいなどという願望は、全くなかった。 最も不幸な、大変な生活環境のなかに生きる児…