◇ 「生命尊厳の絆 輝く世紀を」(下) 2012-1-28

有志国とNGOで行動グループを!
 このように国際人道法の精神に加えて、「人権」や「持続可能性」という、同じ地球で暮らす以上は無関係では済まされない観点から問題提起することは、「核兵器のない世界」を目指す運動の裾野を大きく広げることになる。特に保有国や、その核の傘に依存してきた国の人々に対し、従来の政策を今後も続けることは「人権」と「持続可能性」に対する重大な侵害であるとの意識転換を促すことにつながることが期待されましょう。
 そのことを踏まえ、私がNWCを実現するための一つの方途として提案したいのは、基本条約と議定書をセットにする形で核兵器の禁止と廃絶を追求するアプローチです。
 つまり、「『核兵器のない世界』の建設は人類共同の事業であり、国際人道法と人権と持続可能性の精神に照らして、その建設に逆行する行為や、理念を損なう行為をしない」との合意を基本条約の柱とし、製造と開発の禁止や、使用と威嚇の禁止などの徹底、廃棄と検証に関する取り決めについては、それぞれの議定書の締結を通して段階的に進めていく方式です。
 その眼目は、全ての国が安心と安全を確保できるような人類共同の事業としての枠組みを打ち立てることにあります。
 こうした位置付けをすることで、条約を、各国が現在の立場の違いを超えて、「核兵器のない世界」という共通目標に向かって共に前進するための足場としていくことができるのではないか。また、条約に加盟した国々が共通目標に鑑みて、脅威を角突き合わせるのではなく、互いに脅威をなくしていこうとする道が開けましょう。
 そうした脅威から安心への構造転換を基本設計とする条約が成立すれば、次の段階となる議定書の発効が多少遅れたとしても、現在のような先行き不透明で脅威が野放図に拡散していく世界ではなく、明確な全体像に基づいた国際法によるモラトリアム(自発的停止)の状態が形成されていくのではないか。
 そのための準備を早急に開始することが必要であり、今年か来年のうちに、有志国とNGOが中心となって「核兵器禁止条約のための行動グループ」(仮称)を発足させることを呼びかけたい。SGIとしても、積極的に関わっていきたいと思います。
 そして、基本条約の原案や議定書の構造設計の検討を進める一方、青年たちの情熱と信念の力をエネルギーの源としながら国際世論を喚起し、グローバルな民衆の連帯を強め、賛同国の拡大の後押しをする中で、2015年までに核兵器の禁止と廃絶に向けた基本条約の調印、もしくは最終草案の発表を広島・長崎で行うことを提案したい。
 
各国首脳は広島・長崎を訪問し脅威が対峙する世界から脱却へ
 
被爆地に立って胸に刻まれるもの
 私は以前から、原爆投下から70年にあたる2015年に、各国の首脳や市民社会の代表が参加して、核時代に終止符を打つ意義を込めた「核廃絶サミット」を広島と長崎で行うことを提案してきました。
 また、その一つの方式として、NPT再検討会議の広島・長崎での開催も呼びかけてきました。
 NPT再検討会議は通常、ニューヨークやジュネーブで開催されてきただけに他の場所での開催は困難が伴うと思いますが、「核廃絶サミット」にせよ、NPT再検討会議にせよ、私が被爆地での開催を念願してきたのは、各国首脳をはじめとする会議の参加者が訪問を通じて「核兵器のない世界」への誓いを新たにすることが、核問題解決の取り組みを不可逆で揺るぎないものにしていくと信じるからです。
 ここ数年、「核兵器のない世界」に向けた提言を、ヘンリー・キッシンジャー博士らとともに続けてきたウィリアム・ペリー元米国防長官は、広島の原爆ドームや平和記念資料館をつぶさに見て回った感想を、こう綴っております。
 「目の前に広がる被爆地の地獄絵図を見て、私の心は締めつけられた。もちろん、それまでにも核兵器の恐ろしさは十分理解していたつもりではいた。だが、それが実際にもたらした悲惨な現実を眼前に突きつけられ、私は改めて核爆弾が持つ強大なパワーを実感し、かつそれがとんでもない悲劇を引き起こすのだということを強く感じた。同時にこうした兵器が二度と地球上で使われるべきではないという思いを強く胸に焼きつけた」(春原剛訳『核なき世界を求めて』日本経済新聞出版社
 もちろん、人それぞれに感想は違ってくると思います。しかし、それが何であろうと心に刻まれるものは必ずあるはずです。
 いずれにしても核兵器の拡散が進み、脅威が現実のものになりかねない状況を一刻も早く打開するには、同じ地球に暮らすより多くの人々が、自分たちの生命や尊厳、そして子どもや孫たちといった未来の世代に深く関わる問題として受け止め、声を強めていく以外に道はありません。
 SGIは、戸田第2代会長の「原水爆禁止宣言」の発表50周年にあたる2007年から「核兵器廃絶への民衆行動の10年」の運動を立ち上げ、民衆の声の結集に努めてきました。
 これまで世界220都市以上で開催してきた「核兵器廃絶への挑戦」展はその一環で、多くの市民の来場を得てきました。
 そのほか、核戦争防止国際医師会議が進める「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」に協力し、NWCの実現を求める民衆の輪を広げるとともに、国際通信社IPSと共同で核兵器に関する記事や論考を発信するプロジェクトを通じて「核兵器のない世界」に向けた課題や現実変革のための代替案を探る取り組みを続けてきました。
 「いやしくも私の弟子であるならば、私のきょうの声明を継いで、全世界にこの意味を浸透させてもらいたい」(前掲『戸田城聖全集第4巻』)との、55年前の師の遺訓は、今も耳朶を離れることがありません。
 SGIの青年たちとともに、師との誓いを果たし、「核兵器のない世界」への道を民衆自身の手で切り開くべく、志を同じくする団体や人々と手を取り合いながら、人類未到の挑戦を何としても成し遂げたいと決意するものです。
 また、私が創立した戸田記念国際平和研究所でも、「核兵器のない世界」を地域的な面から確保しようとする国際的な動きを支援するために、「非核兵器地帯の拡大」に焦点を当てた研究プロジェクトを今年から開始していきたいと考えております。
 
平和と人道の滔々たる流れを
世代から世代へ更に力強く?
 
具体的提案と行動が人類守る屋根に
 以上、災害や環境と開発の問題に加えて、核兵器の問題について、それぞれ具体的提案を行いました。
 いずれの問題も容易ならざる困難を伴うものですが、無限の可能性を秘めている民衆一人一人の力を結集することで、解決への道は必ず開くことができると確信しています。
 今から60年前に「地球民族主義」を提唱し、55年前に「原水爆禁止宣言」を発表した師の戸田第2代会長の信念は、常に100年先、200年先を見据えて行動せよでした。
 そして戸田会長が、不二の弟子である私に未来を託して師子吼された言葉は、生涯の誓いとなり、行動の原点となりました。
 「人類の平和のためには、具体的な提案をし、その実現に向けて自ら先頭に立って行動することが大切である」「たとえ、すぐには実現できなくとも、やがてそれが火種となり、平和の炎が広がっていく。空理空論はどこまでも虚しいが、具体的な提案は、実現へのとなり、人類を守る屋根ともなっていく」と。
 これまで30年間にわたって続けてきたこの提言は、師との誓いを果たす実践に他なりません。
 こうして地球的問題群の解決のための提案を重ねる一方、問題解決の最大の原動力となるグローバルな民衆の連帯を広げるために、192カ国・地域のSGIの同志とともに、来る日も来る日も、勇気と希望を人々の心にともす対話に取り組んできたのです。
 平和への戦いも、人権や人道のための戦いも、何か一つの山を乗り越えれば、終わりが見えてくるようなものでは決してない。
 一つの世代から新しい次の世代へ、誰にも断ち切ることのできない滔々たる流れをつくり、その流れを強く、また太くしていく挑戦の中で、地球の未来は盤石なものになると、私どもは確信し、ともに行動を積み重ねてきました。
 今後もその信念を燃やして、「民衆の民衆による民衆のためのエンパワーメント」を力強く推し進め、平和と共生の地球社会に向けた土壌を耕していきたいと決意するものです。
 
語句の解説
注4 1325号決議
 国連安全保障理事会が2000年10月に採択した画期的な決議。紛争の防止や解決、平和構築における女性の重要な役割を再確認した上で、武力紛争下のあらゆる形態の暴力から女性を保護する特別な方策をとることや、女性や少女への暴力を含む戦争犯罪の責任者を訴追することなどを求める内容となっている。
 
 2000年9月に採択された国連ミレニアム宣言等をもとにまとめられた国際目標。2015年を目標期限とし、極度の貧困や飢餓に苦しむ人々の半減をはじめ、初等教育の完全普及、乳幼児死亡率の削減、妊産婦の健康改善など、8分野21項目にわたる目標の達成が目指されている。
 
注6 ビキニ環礁事件
 1954年3月、太平洋中西部にあるビキニ環礁アメリカが行った水爆実験によって、近海で操業中だった日本の漁船「第五福竜丸」の乗組員が被ばくした事件。ビキニ環礁では46年から58年まで、アメリカによる核実験が繰り返し行われ、マーシャル諸島の周辺住民たちは長年にわたって放射能汚染による被害に苦しんできた。