2017-12-01から1ヶ月間の記事一覧
〈四季の励まし〉 「感謝の言葉」が心を温める 2017年12月24日 「ありがとう」の一言には、不思議な力がある。 人生を豊かにし、心の絆を限りなく広げる。 平和や友好といっても、他者への「感謝の思い」を伝えることから始まるのだ。 感謝と報恩の決意が、…
十二日、いよいよ山本伸一と四国青年部代表との懇談会当日である。 朝、作曲を担当する四国音楽隊の杉沼知弘が研修道場に来た。 彼は、これまでに四国の歌「我等の天地」、高等部歌「正義の走者」などの作曲を手がけてきた青年である。 杉沼は、歌詞を目にす…
四国研修道場で「香川の日」記念幹部会に出席した山本伸一は、引き続き、四国の首脳幹部らと打ち合わせを行った。 翌十一日も、フル回転の一日であった。研修道場に集って来たメンバーを激励し、高松市の勅使町に建設が進められている新四国文化会館を視察。…
四国の青年たちが企画・推進した平和行動展は、広宣流布の新しき道を照らし示す、一つの光明となった。 ただ指示されて動いていたのでは、未来の開拓はない。 「前進を阻んでいるものは何か」「時代、社会の課題は何か」を読み取り、積極的に、絶えざる挑戦…
徳島講堂を午後二時半に出発し、香川県・庵治町にある四国研修道場へ車で向かった山本伸一は、一時間ほどしたころ、ドライバーに休憩してもらおうと、喫茶店に立ち寄った。 その時、徳島から同行していた四国青年部長の大和田興光が、「四国青年部の代表と、…
一九一八年(大正七年)六月、板東俘虜収容所で、ドイツ兵の捕虜によって、「第九」の演奏会が行われた。 ベートーベンは、「第九」の第四楽章に声楽を導入し、ドイツの詩人シラーの詩「歓喜に寄す」を使った。 すべての人が兄弟になる──この「第九」のテー…
山本伸一は、九日午後の飛行機で大阪を発ち、徳島空港に到着すると、そのまま徳島講堂へ向かい、落成記念勤行会に臨んだのだ。 彼は、勤行の導師を務め、懇談的に指導し、「冬は必ず春となることを確信して、勇気ある信心を!」と、強く呼びかけた。 皆、決…
山本伸一は、十一月八日、東京・新宿区の家族友好運動会に出席したあと、関西に向かった。 夜には関西文化会館での区・圏長会で激励し、さらに代表幹部と懇談を重ねた。 関西は、永遠不滅の“常勝の源流”であってもらいたい。いや、断じてそうであらねばなら…
九月六日付の「聖教新聞」には、十一月に徳島講堂の落成を記念して祝賀行事が行われ、山本伸一も出席する予定であることが報じられた。 伸一の行事出席の予告は異例のことであり、それは、いよいよ全国の同志とスクラムを組み、新たな前進を開始しようとする…
正信会の僧たちは、相次いで宗門から擯斥されていった。 彼らは、広宣流布を口にしながら、ひたすら広布を進めてきた学会を「謗法」と断じ、尊い仏子である学会員を苛め抜き、僧俗和合を破壊してきた。 そして結局は、滔々たる広宣流布の大河の流れから離れ…
山本伸一は、明石康国連事務次長とは十八回の会談を重ねることになる。 その間に、学会は、国連と協力して、「現代世界の核の脅威」展、「戦争と平和展」「現代世界の人権」展などを、世界各地で開催していった。 さらに、一九九二年(平成四年)には、国連…
十条潔が亡くなった十八日の夜には、十条家としての通夜が、また、翌十九日には告別式が営まれた。 さらに、二十三日夜には、創価学会本部葬の通夜が、翌二十四日には本部葬が、巣鴨の東京戸田記念講堂で厳粛に執り行われた。 山本伸一は、すべてに参列し、…
2017年(平成29年)12月号(No.818) 「陰徳陽報」の栄光を晴ればれと 池田大作 恩師・戸田城聖先生は、広宣流布に奮闘(ふんとう)した友を、会合の折々に御本尊の御前に招(まね)き、讃(たた)えられた。 そして、「私は何も差し上げられないが、日蓮…
五十八歳での十条潔の他界は、早いといえば、早い死であったかもしれない。 しかし、広宣流布に人生を捧げ抜き、自らの使命を果たし切って、この世の法戦の幕を閉じたといえよう。 海軍兵学校出身で、「同期の桜」をよく歌ったという十条らしく、桜花の散る…
それは、突然の訃報であった。七月十八日午前零時五十三分、会長の十条潔が心筋梗塞のため、信濃町の自宅で他界したのである。 享年五十八歳であった。 前日、十条は、山本伸一と共に、東京・小平市の創価学園グラウンドで行われた北多摩圏の総会に出席し、…
山本伸一の祝電は、こう結ばれていた。 「アメリカの青年も ドイツの青年も またイタリアの青年も そしてフランスの青年も イギリスの青年も 東南アジアの青年も 皆 真実の平和のために立ち上がった わが真の同志たる日本の青年部の すばらしい団結とすばら…
青年の心には、果てしない希望の青空が広がり、真っ赤な情熱の太陽が燃えている。 ほとばしる勇気と、限りない創造の泉がある。 新しき時代の主役は青年である。青年が、いかなる志をいだき、どれほど真剣に学び、果敢に行動し、自身を磨き鍛えているか──そ…
青年の心には、果てしない希望の青空が広がり、真っ赤な情熱の太陽が燃えている。 ほとばしる勇気と、限りない創造の泉がある。 新しき時代の主役は青年である。青年が、いかなる志をいだき、どれほど真剣に学び、果敢に行動し、自身を磨き鍛えているか──そ…
人間革命の「勝ち鬨」を高らかに! 「今」を燃えて生きよ! そこに栄光の「未来」が 紅の葉、黄金の葉、また緑の葉が幾重にも織り成す武蔵野の秋──。 輝く錦繡の丘には、偉大な先師を讃える東京牧口記念会館の列柱が王者の如く堂々と(11月16日、池田先…
山本伸一は、平和と民衆の幸福への闘争を重ねつつ、詩を書き続けた。 多忙なスケジュールの合間を縫うようにして口述し、書き留めてもらった作品も数多くある。 その後、彼には、インドの国際詩人学会から「国際優秀詩人」賞(一九九一年)、世界詩歌協会か…
世界平和文化祭には、テレビ局をはじめ、三十余の報道各社が取材に訪れた。 ABC放送は、終了後、直ちにニュース番組で、その模様を放映。 祭典は世界平和と生命の尊厳を志向して開かれたものであり、出演者は素人であると紹介した。 テレビのインタビュー…
書は言を尽さず言は心を尽さず事事見参の時を期せん(太田入道殿御返事、1012ページ) (通解) 書は言葉の全てを言い尽くすことはできない。 言葉もまた心を残らず表し尽くすことはできない。 さまざまな事柄は、会った時を期して話すことにしたい。 同志…
現代世界にあって、「対話の文明」の構築こそ、不可欠かつ緊急の課題である。 その「対話の文明」とは、決して遠くにあるのではない。 それは、身近な隣人の方々と、胸襟を開いて向き合い、語り合っていくことから始まる。 誠実に、粘り強く、対話を貫き、新…
世界平和文化祭は、開催国アメリカの音楽と踊りに移った。 カウボーイハットを被ってのウエスタンダンス、ハワイアンダンス、さらに、チャールストン、ジルバ、タップダンスと、陽気で賑やかなアメリカンダンスの世界が繰り広げられていく。 一転。暗くなっ…
六月二十八日、二十一世紀へと羽ばたく歴史的な第一回世界平和文化祭が開催された。 シカゴ郊外にある会場のローズモント・ホライゾン(後のオールステート・アリーナ)には、世界十七カ国の在米大使館関係者をはじめ、各界の来賓、各国のSGIメンバーの代…
山本伸一は、六月二十五日午後五時(現地時間)、百五十人ほどのメンバーに見送られ、カナダのトロント国際空港を発ち、約一時間半の飛行でアメリカのシカゴに到着した。 シカゴでは、二十八日に、今回の北米訪問の最も重要な行事となる、第一回世界平和文化…
誰からも、賞讃、顕彰をされることがなくとも、仏法という生命の因果の法則に照らせば、広宣流布のための苦労は、ことごとく自身の功徳、福運になる。 仏は、すべて見通している。それが「冥の照覧」である。 したがって、各人の信心の在り方としては、人が…
山本伸一は、隣にいた妻の峯子に言った。 「ローラ・セコールの生き方は、学会の婦人部に似ているね。 彼女は、英軍を救うために恐れなく、勇敢に行動した。 そこには、強い信念と勇気がある。 しかも、大功労者でありながら、威張ったり、権威ぶったりする…
1813年、アメリカとイギリスの間で、英領北アメリカ(後のカナダの一部)をめぐって、戦争が続いていた。 ローラ・セコールの住むクイーンストンも激戦地となり、夫は英軍として戦い、負傷してしまう。 セコールの家は米軍に徴用され、士官の宿舎として使わ…