小説「新・人間革命」 勝ち鬨 三 2017年12月8日

それは、突然の訃報であった。七月十八日午前零時五十三分、会長の十条潔が心筋梗塞のため、信濃町の自宅で他界したのである。
享年五十八歳であった。 
前日、十条は、山本伸一と共に、東京・小平市創価学園グラウンドで行われた北多摩圏の総会に出席し、引き続き創価中学・高校の恒例行事である栄光祭に臨んだ。 
夜、伸一は、十条や秋月英介ら首脳幹部を自宅に招き、共に勤行した。
唱題を終えて伸一が、世界の青年たちが目覚ましい成長を遂げていることを伝えると、十条は、嬉しそうに、「二十一世紀が楽しみです」
と言って目を細めた。
語らいは弾んだ。 
午後十時ごろ、伸一の家を出た十条は、さらに、数人の首脳と懇談し、帰宅した。
自宅で御本尊に唱題し、入浴後、就寝したが、体の変調を訴えた。
そして、そのまま眠るがごとく、安らかに亡くなったのである。 
十条の会長就任は、荒れ狂う宗門事件の激浪のなかであった。
伸一が名誉会長となり、会合に出席して指導することもできない状況下で、十条は必死に学会の舵を取らねばならなかった。
また、この年の一月に恐喝の容疑で逮捕された山脇友政が、学会を意のままに支配しようとした卑劣な謀略への対応にも、神経をすり減らし、苦慮し続けた。
体は人一倍頑健であったが、この二年余の心労は、いたく彼を苛んだようだ。 
伸一は、十条とは青年時代から一緒に戦ってきた同志であった。
一九五四年(昭和二十九年)三月、伸一が青年部の室長に就任した時には室員となった。
十条の方が、五歳ほど年長であったが、信心の先輩である伸一を慕い、共にあらゆる闘争の先頭に立ってきた。
伸一にとっては、広布の苦楽を分かち合った、信頼する戦友であった。 
伸一が第三代会長に就任すると、十条は彼を師と定め、自ら弟子の模範になろうと努めてきた。
師弟のなかにこそ、創価学会を永遠ならしめ、広宣流布を大発展させゆく要諦があると、十条は深く自覚していたのだ。