2015-05-01から1ヶ月間の記事一覧
歴史は動く。時代は変わる。 それを成し遂げていくのは、人間の一念であり、行動である。 一九七八年(昭和五十三年)八月十二日、日本と中国の間で「日中平和友好条約」が調印され、今、「日中新時代」の幕が開かれようとしていた。 九月十一日午後零時半(…
長野県の記念幹部会の最後に、山本伸一は、力を込めて訴えた。 「御仏意のままに進む信心の世界には、いっさい、無駄というものはない。 いかなることも、不屈なる闘魂と歓喜の信心がある限り、すべて、新しい価値創造の源泉となり、大福運となることを確信…
峨々としてそびえる信濃の山々に、大勝利の歓喜の歌声が響いた。 八月二十三日午後五時、松本平和会館で、長野広布二十周年を記念する県幹部会が晴れやかに行われた。 席上、長野県歌「信濃の歌」を、「信濃混声合唱団」が高らかに歌い上げたのである。 一、…
山本伸一は、一九七八年(昭和五十三年)八月二十二日午後、列車で長野県松本市に向かっていた。 車中、彼は、「長野の歌」の作詞に余念がなかった。 翌二十三日に、松本平和会館で開催される長野広布二十周年の記念幹部会で、長野県創価学会の新しい出発を…
北海道の歌「ああ共戦の歌」は、北海道音楽隊のメンバーが作曲を担当し、山本伸一の入会記念日にあたる八月二十四日の「聖教新聞」に、歌詞と楽譜が発表された。 二〇〇六年(平成十八年)四月、二十一世紀の行進にふさわしいものにと、新たな曲が作られた。…
県長会議が行われた翌日の八月九日、山本伸一は、九州は宮崎の天地に立っていた。 九日間にわたる九州指導の開始であった。 九州でも、宗門の僧による学会攻撃が激しく、特に大分では、多くの学会員が迫害され、悔し涙を拭いながらも、創価の正義を叫び抜い…
団結──その言葉を口にする時、山本伸一の目は厳しい輝きを放った。 戸田城聖は、「学会は、人材をもって城となすのだ!」と語ったが、団結がなければ創価城の人材の石垣も崩れてしまうからだ。 伸一は、さらに訴えた。 「『北陸の歌』の四番の三行目は、『誓…
山本伸一は、北陸のメンバーに視線を注ぎながら語っていった。 「三番は『同心の北陸』としました。 団結こそが、信心の要諦であり、広宣流布推進の大原則だからです。 もしも、幹部同士が仲が悪く、心を結び合うことができないとしたならば、既に魔に翻弄さ…
神奈川の歌に引き続いて、北陸の歌「ああ誓願の歌」の歌詞が発表された。 一、ああ誇りなり コスモスと レンゲの薫る 故郷に ああ常楽の 北陸は いざや謳わん 幸の広布を 二、平和の陣列 田園に 友と友との 握手あり ああ遊楽の 北陸は 起ちゆく君の 晴れ姿…
県長会議では、これまでに山本伸一が作り、贈った各方面歌のテープを聴いた。 このあと、神奈川の歌「ああ陽は昇る」の歌詞が紹介されたのである。 一、世紀の海に こだまする 清き祈りは 舞い舞いて 神奈川天地に 慈雨の羽 生きとし生きる 歓喜あり ああ陽…
県長会議で、山本伸一から、「北陸の歌」を作詞したことを聞かされた、石川県と富山県の北陸のメンバーは、歓声をあげた。 昨日の懇談会で、歌を作ってほしいと要望した婦人が、目を潤ませて言った。 「先生! ありがとうございます。昨日、お願いしたばかり…
東北の歌「青葉の誓い」を完成させた二日後の八月八日、創価文化会館内の広宣会館で県長会議が行われた。 山本伸一は、会場に姿を現し、席に着くと、前列にいた北陸婦人部の代表に視線を注ぎながら言った。 「『北陸の歌』を作詞しましたよ! 歌詞には、コス…
合唱指導を担当していた宮尾一志は、電話機を使って録音した「青葉の誓い」のテープを聴きながら、譜面に起こした。 聴き取りにくいところは、何度も巻き戻して再生した。 やっとの思いで、出来上がった譜面を複写し、男女青年部の合唱団二十人ほどに、米沢…
山形県・置賜地域の様子を聞いた山本伸一は、置賜で各部の中心となって奮闘しているメンバーに、次々と歌や句を詠んで贈った。 「吹雪にも 胸はり進む 君ありて 山形大地は 功徳と香らむ」 「生涯の 幸を決めるは 今なりと 笑顔を忘れず いざや戦え」 伸一か…
山形県の置賜地域では、宗門の僧による学会への中傷の嵐が吹き荒れていた。 この一九七八年(昭和五十三年)が明けた一月の御講から、住職による学会批判が始まり、月を経るごとに激しさを増していった。 一方的に、「学会は、とんでもない謗法を犯している…