小説「新・人間革命」大道 61 2015年4月22日

団結──その言葉を口にする時、山本伸一の目は厳しい輝きを放った。
戸田城聖は、「学会は、人材をもって城となすのだ!」と語ったが、団結がなければ創価城の人材の石垣も崩れてしまうからだ。
伸一は、さらに訴えた。
「『北陸の歌』の四番の三行目は、『誓願の北陸』としました。
広宣流布の大誓願に生きる時に、歓喜あふれる地涌の菩薩の大生命がみなぎる。
何ものをも恐れず、いかなる困難も乗り越えていける、無限の勇気と智慧と力が脈動します。
誓願に生きることが、最も人生を輝かせていける道なんです。
北陸は、「広布の誓願」に生き抜かれた戸田先生の、ご生誕の地です。どうか、恩師の、その精神を受け継ぐ闘将の皆さんであってください」
彼は、北海道の代表に視線を注いだ。
「これから北海道の歌も作っていきます。どんどん各地の歌を作ります。
方面ではなく、千葉や神奈川のように、県の歌を作って、お贈りすることもあります。
今年は、新しい支部制がスタートした。その新しい前進を歌い上げていきたいんです。 
戸田先生は、牢から出られて、学会再建に立ち上がられた時、獄中で自ら作詞した歌を歌われながら戦いを開始された。
そして、『学会は、何があっても、堂々と歌を歌いながら、広宣流布を進めるんだ!』と言われた。
私たちは、威風堂々と、歓喜の歌声を響かせ、前進していこうではありませんか!」
県長会議のこの日、神奈川の歌「ああ陽は昇る」と北陸の歌「ああ誓願の歌」に曲がつけられた。
作曲を担当したのは、いずれも、「東京の歌」を手がけた小学校の音
楽教諭の青年である。
作業は、創価文化会館内の金舞会館にあるピアノを使って行われた。
伸一は、県長会議終了後、神奈川、北陸のメンバーと金舞会館に足を運び、曲のイメージを語り、アドバイスを重ねた。
二日後の十日、この二曲の歌詞と楽譜が「聖教新聞」に発表された。感動が走った。