小説「新・人間革命」大道 62 2015年4月23日

県長会議が行われた翌日の八月九日、山本伸一は、九州は宮崎の天地に立っていた。
九日間にわたる九州指導の開始であった。
九州でも、宗門の僧による学会攻撃が激しく、特に大分では、多くの学会員が迫害され、悔し涙を拭いながらも、創価の正義を叫び抜いていたのだ。
九州の同志には、逆境をはね返す?負けじ魂?がある。?師弟の魂?が燃えている。
伸一は、九州での激闘のなか、「北海道の歌」の作詞に取りかかった。
北海道でも、名寄などで、師子身中の虫となった悪侶が、学会への中傷を重ねて組織を切り崩し、寺の檀徒にしようという動きが激化していた。
広布破壊の暴挙に、学会員は歯ぎしりしながら戦い抜いた。
学会を辞めると言いだした人を、朝、激励し、決意の声を聞き、握手を交わしても、昼には悪侶らにたぶらかされ、翻意しているのだ。
一瞬の油断も許されない攻防戦であった。それが悪との闘争なのだ。
伸一にも、その報告が寄せられていた。
「誰が正義か──御書に照らせば明快である。何が真実か──歴史がすべてを証明しよう。
われらは、使命の旗を烈風に高らかに掲げ、広布新時代へ晴れやかに前進するのだ!」
伸一は、創価桜が咲き誇る勝利の春を思いつつ、「北海道の歌」を作詞した。
十五日、彼は、鹿児島の九州研修道場にいた。諸行事の担当で来ていた、副会長で北海道総合長の田原薫を呼ぶと、笑顔で語った。
「北海道は大奮闘してくださっている。嬉しいね。北海道の皆さんの歌を作ったよ」
田原は、満面に笑みをたたえ、歌詞を見た。
歌の題名は、「ああ共戦の歌」であった。
万里の長城 妙法の 恩師と共に 厳たりき」の文字が飛び込んできた。
伸一は、自分の胸のうちを語り始めた。
「『師匠が見ておられる。勝利を待ってくださっている』というのが、私の力の源泉だった。
師弟共戦とは、弟子が戦い、勝って、師に勝利を報告することだと、私は決めてきた。今も、その思いで戦っています」