2011-07-01から1ヶ月間の記事一覧

復興への勇気(The courage to rebuild) ジャパンタイムズ(6月28日)への寄稿文。

復興への勇気(The courage to rebuild) 「人生行路の平濶ならざるを知れり」 「想像夢思だも及ばざる難路なり」━━福島県が生んだ歴史学者にして平和運動家・朝河貫一博士(1873-1948)の慨嘆であった。 未曾有の被害を残した3・11の東日本大震…

小説「新・人間革命」 灯台 57 6月27日

山梨県・勝沼町から勤行集会に参加した果樹農家の坂守太郎は、ブドウ畑の一部を整備し、観光ブドウ狩り園を営んでいた。 観光客が足を運び、ブドウ狩りを体験してもらうことで、生産者と消費者の交流も生まれ、それがブドウの販売促進にもつながると考えたの…

小説「新・人間革命」 灯台 56 6月25日

東北の詩人・宮澤賢治は友に書き送った。 「もしあなたがほんたうに成功ができるなら、それはあなたの誠意と人を信ずる正しい性質、あなたの巨きな努力によるのです」 第一回「農村・団地部勤行集会」を契機に、農業復興の決意を新たにした農村部員の活躍は…

小説「新・人間革命」 灯台 55 6月24日

〝異なった生活を営む多様な人びとが、一つの団地という世界で、共に生きる。まさに団地は、「小さな合衆国」といえる。 その団地の人びとを、友情と信頼の固い絆で結び、人間共和の礎をつくらねばならない〟――それが、山本伸一の団地部への期待であった。 …

小説「新・人間革命」 灯台 54 6月23日

大確信にあふれた山本伸一の声が響いた。 「仏法は、勝負であります。ゆえに、広宣流布の使命に生きる皆さんは、断じて社会にあって勝たねばならないし、絶対に勝ち抜いていけるのが、この信心なんです! 末法は『闘諍言訟』と経文にもある通り、争いが絶え…

小説「新・人間革命」 灯台 53 6月22日

山本伸一は、さらに、日蓮大聖人の門下としての信仰の在り方を述べていった。 「日蓮大聖人は、御本尊という当体そのものを、末法の私どものために残された。 したがって、釈尊や天台の法理を理解していなくとも、御本尊に唱題することによって、一生成仏と…

小説「新・人間革命」 灯台 52 6月21日

山本伸一は、この二月十七日の勤行集会で、地域社会のパイオニアである、農村部、団地部の友に、日蓮仏法の偉大さと仏道修行の要諦について語っておこうと考えていた。 「日蓮大聖人の仏法は、『直達正観』、すなわち『直ちに正観に達する』といって、即身成…

小説「新・人間革命」 灯台 51 6月20日

「次に団地部について、お話ししたいと思います」 山本伸一が、こう言うと、今度は、団地部のメンバーから、大きな拍手が起こった。 「実は、結婚してからしばらくの間、私は、よく妻と、こんな話をしました。 『団地に住みたいな。コンパクトで便利じゃない…

小説「新・人間革命」 灯台 50 6月18日

東北出身の哲学者・阿部次郎は言った。「土地と農業とを忘れた文化が本質的に人間を幸福にする力があるかどうかは疑はしい」(注) 農村地域が、やがて、その重要性を再評価され、脚光を浴びる時代が必ず来る――それが、山本伸一の未来予測であり、確信であっ…

小説「新・人間革命」 灯台 49 6月17日

山本伸一は、次いで、地域にあって、広宣流布を推進していくうえでの、基本姿勢について語った。 「日蓮大聖人の仏法は、下種仏法であります。 いまだ仏法の真実の教えを聞いたことがない末法の衆生に、南無妙法蓮華経という成仏得道の種子を下ろし、一生成…

小説「新・人間革命」 灯台 47 6月15日

天台大師は、さらに、釈尊が、三度にわたって娑婆世界等を変革したことを、人間の迷いである、見思惑、塵沙惑、無明惑の「三惑」に対応させている。 見思惑とは、見惑と思惑のことで、惑は迷いである。見惑は、真実を見極めようとしない、誤ったものの見方を…

小説「新・人間革命」 灯台 46 6月14日

釈尊の分身の諸仏を娑婆世界に集めるには、国土を浄め、仏が集うにふさわしい仏国土にしなければならない。 釈尊は、眉間から光を放って、無数の国土にいる仏たちを見る。それぞれの国土では、諸仏、菩薩が法を説いていた。 宝塔が涌現したことを知った諸仏…

小説「新・人間革命」 灯台 45 6月11日

一九七七年(昭和五十二年)二月十七日の夜、会長・山本伸一を迎えて、創価文化会館内の広宣会館で開催された、第一回「農村・団地部勤行集会」は、歓喜と求道の息吹に満ちあふれた出発の集いとなった。 全国から駆けつけた参加者は、伸一の指導を一言も聞き…

小説「新・人間革命」 灯台 44 6月10日

分断された人間関係の果てにあるのは、孤独の暗夜だ。それを転ずるのが団地部だ〟 山本伸一の期待は大きかった。 一九七六年(昭和五十一年)七月末の夜であった。 伸一が、打ち合わせのため、箱根の研修所を訪れると、千葉県団地部の婦人の代表が集い、研修…

小説「新・人間革命」 灯台 43 6月9日

山本伸一は、団地は、社会の一つの縮図であると考えていた。 彼は、車で移動する際にも、団地を目にすれば、同志の幸せと活躍を念じ、題目を送るのが常であった。 また、新しい団地建設が、新聞などで報じられるたびに、団地の未来に思いをめぐらした。 〝今…

小説「新・人間革命」 灯台 42 6月8日

山本伸一は、「青葉荘」で三年間を過ごし、一九五二年(昭和二十七年)五月に峯子と結婚する。 結婚当初、三カ月ほど、東京・目黒区三田の借家に住むが、八月には、大田区山王のアパート「秀山荘」に移った。 赤い屋根の二階建てで、十世帯ほどが住んでいた…

小説「新・人間革命」 灯台 41 6月7日

山本伸一は、団地という集合住宅に住む人たちの心がよくわかった。彼も、団地ではなかったが、青年時代にアパートで暮らした経験があるからだ。 彼が実家を出て、東京・大田区大森にある「青葉荘」というアパートに移り住んだのは、戸田城聖のもとで働き始め…

小説「新・人間革命」 灯台 40 6月6日

団地部メンバーの貢献は、いずこの地にあっても、目を見張るものがあった。 〝まず、自分がよき住民となり、皆が誇りに思える団地をつくろう〟と、地域建設の推進力となり、住民の心と心を結んでいった。 メンバーは、団地のすべての人に、元気いっぱい、あ…

小説「新・人間革命」 灯台 39 6月4日

埼玉県・吉川町(当時)の吉川団地は、一九七三年(昭和四十八年)から入居が始まった団地である。 約千八百世帯、六千人が、さまざまな地域から転居して来た。新しく建設された団地や新興住宅地の常として、なかなか住民の心の交流は図れなかった。 そのな…

小説「新・人間革命」 灯台 38 6月3日

駐車場の建設に立ち上がった、学会員の婦人は思った。 〝ここが勝負だ! 今こそ、みんなの心の扉を開こう。そして、誰もが愛し、誇れる最高の団地にするんだ!〟 彼女は、懸命に訴えた。 「路上駐車だらけの、今の状態では、消防車などの緊急自動車も入って…

小説「新・人間革命」 灯台 37 6月2日

団地部のメンバーは、自分の住む団地を、〝人間共和の都〟にしていこうと、各人が積極的に、行動を起こしていった。 自治会の役員などを進んで引き受け、住民のために奔走し、献身していった人も少なくない。一九七七年(昭和五十二年)の二月七日朝、大阪で…

小説「新・人間革命」 灯台 36 6月1日

団地で隣同士を隔てているのは、コンクリートの一枚の壁にすぎない。しかし、その団地での人間関係が、なぜ、希薄なのか――。 新しく造られた団地の居住者は、さまざまな地域から移転してきた人たちである。当然、互いの気心もわからない。 本来ならば、積極…

説「新・人間革命」 灯台 35 5月31日

団地は、民間のアパートなどと比べ、環境や諸設備も整っていることから、入居希望者が多く、一九六一年(昭和三十六年)には、日本住宅公団の東京・阿佐ケ谷市街地住宅の申し込みは、四千二百倍を超えた。 団地の建設地は、次第に都会から郊外へと移るととも…

小説「新・人間革命」 灯台 34 5月30日

団地部のメンバーは、一九七三年(昭和四十八年)十月の結成以来、わが団地を〝人間共和の都〟にと、懸命に活動に励んできた。 方面や県、区で勤行会や協議会も活発に開催され、地域に信頼を広げていくことを確認し合った。 そして、団地に住む人びとと交流…

小説「新・人間革命」 灯台 33 5月28日

「農村部大会」への山本伸一のメッセージは、農村再建の使命を強く促すものとなった。 農村部では、一九七六年(昭和五十一年)にも、北海道などで、活発に「農業講座」を開催していった。 講座では、地元の農村部メンバーの体験発表や、農業に関する学術研…

小説「新・人間革命」 灯台32  5月27日

一九七五年(昭和五十年)九月、初の試みとして、山形県の「農村青年主張大会」が上山市民会館で開催された。 後継者不足、不安定な収支、離農など、深刻な問題が山積しているなかで、信心を根本に、農業に青春をかける青年たちが、郷土愛や土に生きる誇りを…

小説「新・人間革命」 灯台 31 5月26日

一九七二年(昭和四十七年)十一月の第三十五回本部総会で、山本伸一は、人類の生存の権利を守るための運動を青年に託したいと呼びかけた。 それが起点となり、反戦出版や、「核兵器、戦争廃絶のための署名」など、創価学会の広範な平和運動が展開されていっ…

小説「新・人間革命」 灯台 30 5月25日

山本伸一は、第二に、食糧を輸入に依存しておきながら、減反政策を取り、農業人口を減らしてきた農政の在り方を改善し、食料自給率を高めていくべきであると訴えた。 工業重点主義によって得た金の力にものをいわせ、他国が得るべき食糧を奪っていると言われ…

小説「新・人間革命」 灯台 29 5月24日

山形訪問翌月の一九七四年(昭和四十九年)十月、山梨広布二十周年記念総会に出席した山本伸一は、講演のなかで、農業問題に言及した。 当時、西アフリカ諸国、バングラデシュ、インドなどでは、旱魃や洪水で、極度の飢饉を招来し、多くの人びとが餓死状態に…

小説「新・人間革命」 灯台 28 5月23日

仏法者として、人類の生存の権利を守り抜こうとする山本伸一にとって、「食」をもたらす農業は、最大の関心事であった。彼は会長就任以来、「豊作であるように。飢饉などないように」と、真剣に祈念し続けてきた。 十七歳で終戦を迎え、戦後の食糧難の時代を…