小説「新・人間革命」 灯台 53 6月22日

山本伸一は、さらに、日蓮大聖人の門下としての信仰の在り方を述べていった。
日蓮大聖人は、御本尊という当体そのものを、末法の私どものために残された。
したがって、釈尊や天台の法理を理解していなくとも、御本尊に唱題することによって、一生成仏という人間革命の大道を進んでいくことができるんです。
『直達正観』、すなわち、直ちに絶対的幸福に至るには、結論して言えば、何があっても、御本尊を決して疑うことなく、題目を唱え抜いていくこと以外にありません。
人生は、順調な時ばかりではない。事故に遭うこともあれば、病にかかることもある。
また、仕事や人間関係の行き詰まりなど、さまざまな苦難や試練があるものです。
その時こそ、〝必ず信心で乗り越えてみせる!〟と、心を定めて唱題するんです。そして、地涌の菩薩の使命に生き抜こうと、仏法を語り抜いていくんです。
強盛に、自行化他の信心という根本姿勢を貫いていくならば、絶対に事態を打開できるという、大確信と勇気と智慧が涌現します。
その智慧をもって最高の方法を見いだし、聡明に、満々たる生命力をもって挑戦していくんです。これが、『直達正観』の信仰の直道であることを知っていただきたい。
それと正反対なのが、いざという時に、信心を忘れ、題目を唱えようとせず、右往左往して策に走る姿です。
そこからは、所詮、小手先の浅知恵しか出てきません。それでは、問題の本当の解決もなければ、宿命の転換もありません。かえって、つまずきの要因をつくることにもなりかねない」
悲しみにも、苦しみにも、喜びにも、常に題目とともに! 常に折伏とともに!
その実践ある限り、道は必ず開かれる。何ものをも恐れることはない。
試練の暗夜にあっても、胸には、希望の火が、勇気の火が、歓喜の火が、赤々と燃え上がる。強盛なる信心を奮い起こして題目を唱え抜くこと自体が、「直達正観」なのである。