2018-03-01から1ヶ月間の記事一覧
地域広布は、その地域の人々に、生きる希望を広げゆく戦いだ。 妙法を持った同志は、わが地域の「幸福責任者」であり「先駆者」なのである。 世界広布といっても、その最前線は、いずこの国でも、一対一の対話ではないか。 いつでも、どこでも、誰でも、目の…
池田大作先生 四季の励まし〉 3・5「壮年部結成記念日」 勝利の総仕上げの道を 2018年2月25日 創価学会が、諸難ありとも、微動だにせず、大発展を遂げてきたのは、「黄金柱」たる壮年が、いずこの地にも雄々しく屹立しているからである。 いかなる社会と人…
故聖霊は此の経の行者なれば即身成仏疑いなし、さのみなげき給うべからず、又なげき給うべきが凡夫のことわりなり(上野殿後家尼御返事、1506ページ) (通解) 故人は法華経の行者であったので、即身成仏は疑いない。 だから、故人との別れを嘆かれるべき…
「何でも来い!」と一念を定めよ 富士の如き王者の人生たれ 世界市民の平和の連帯を デューイ研究の第一人者であるジム・ガリソン博士と。人間の可能性を開く教育について語り合った(2008年8月、長野研修道場で) 一、それは私が23歳、卒業生の皆さ…
戸田城聖先生のご命日を前に、桜が咲き薫る青山墓地周辺を車で回り、恩師を偲んだ(3月23日)。 60年前、先生をお見送りした道の桜並木も年輪を刻んで、王者の風格を湛えていた。 最晩年、「もう何もいらない。ただ人材が欲しい」と言われていた先生で…
山本伸一は、九日も、茨城文化会館落成記念の勤行会に出席し、水戸、鹿島、常陸から集った同志二千人を激励した。彼は訴えた。 「仏の異名を『世雄』という。世間にあって、勇猛に民を導く人のことです。 ゆえに御本仏・日蓮大聖人の門下である私たちは、ど…
一九八二年(昭和五十七年)二月七日の午後、山本伸一は、水戸婦人会館を視察したあと、水戸市内の茨城文化会館を訪問し、落成を祝う県代表者の集いに出席した。 この席で彼は、「今回の訪問で一人でも多くの同志と会い、希望の目標を示し、新世紀への出発を…
秋田指導の翌月となる二月の七日、山本伸一は休む間もなく茨城県を訪問した。 茨城もまた、正信会僧による卑劣な学会攻撃の烈風が盛んに吹き荒れた地である。なかでも鹿島地域本部では、必死の攻防が続いてきた。 鹿島、潮来、牛堀、波崎などの町々で、悪僧…
青年が広宣流布の舞台に、澎湃と躍り出るならば、いかに時代が変わろうが、創価の大河は水かさを増しながら、悠久の未来へと流れていくにちがいない。 山本伸一は、“青年たちよ! 学会を頼む。広布を頼む。世界を頼む。二十一世紀を頼む”と心のなかで叫んで…
山本伸一は、すぐに、「かまくら」づくりに励む同志への感謝の思いを和歌にして、色紙に認めて贈った。 「かまくらを つくりし友の 嬉しさよ 秋田に春の 曲はなりけり」 伸一は、峯子と共に「かまくら」を訪れた。 「おじゃましますよ」 中は四畳半ほどの広…
「不屈の東北」に陰徳陽報の春 人華爛漫の理想郷と世界に輝け 今、私の胸に響いて、離れない御聖訓がある。 「陰徳あれば陽報あり」(御書一一七八ページ)――これは、打ち続く苦難と忍耐強く戦い抜いて、遂に勝利の実証を示しゆかんとしていた四条金吾への仰…
一切は現証には如かず (教行証御書、1279ページ) (通解) 一切は現証(現実の結果)にすぎるものはない。 同志への指針 妙法の功力は絶対であり、必ず現証を示すことができる。 牧口先生は、「百発百中」の実証の体験を、座 談会で、新来の友や若人に語…
我がわかき身に親にはやくをくれて教訓をもうけ給はらざるらんと・御心のうちをしはかるこそなみだもとまり候はね (上野殿御返事、1509ページ) (通解) “自分は若い身で親に早く先立たれ、教訓をも承ることがなかった”という、あなた(南条時光)の御心…
青年ありて創価の未来は盤石 力の限り人間革命の勝利劇を! 一、「青年」は、人類の希望の宝である。 「青春」は、生命の栄光の舞である。 そして「若さ」は、大宇宙の創造の力である。 我らの地球を壮大に結ぶ地涌の青春の大スクラム、誠におめでとう! み…
【あらすじ】 1978年(昭和53年)1月6日、新春本部幹部会で広布第2章の「支部制」の実施が発表される。 山本伸一会長は、1月14日には、東京・立川文化会館で行われた第2東京本部の婦人部勤行会に出席。 伸一は、婦人部の小単位の学習・懇談に一段と弾みを…
山本伸一は、言葉をついだ。 「何かを成し遂げよう、改革していこうと思えば、必ず分厚い壁があり、矛盾に突き当たる。 いや、現実は矛盾だらけだ。 しかし、そのなかを、日々、聡明に、粘り強く、突き進むしかない。 ましてや、世界広宣流布は、前人未到の…
自由勤行会を終えた十三日夜、山本伸一は、秋田市内で行われた県青年部の最高会議に出席した。 翌日は、県青年部総会が予定されていた。彼は、若きリーダーたちの意見、要望を聞くことに、多くの時間をあてた。 地域広布の確かな流れを開くために、人材育成…
小松田城亮の一家は、仮住まいの作業小屋に御本尊を安置し、唱題に励んだ。 弘教に、後輩の激励にと、自転車であぜ道を走った。 やがて、家も新築することができた。 一族の学会員からは、高校の理事長や役場で重責を担う人など、たくさんの社会貢献の人材が…
仙北郡太田地域で、初代地区部長として戦ってきたのが、小松田城亮である。 彼は、一九五三年(昭和二十八年)、東京の大学で学ぶ五男が帰省した折、信心の話を聞いた。 城亮の妻・ミヨは病弱で、長男の子どもたちは相次ぎ他界し、長男の嫁も結婚三年にして…
山本伸一は、秋田の同志の敢闘に対して、さらに提案した。 「皆さんの健闘と、大勝利を祝い、勝ち鬨をあげましょう!」 「オー!」という声が沸き起こった。 そして、民衆勝利の大宣言ともいうべき勝ち鬨が、雪の天地に轟いた。 「エイ・エイ・オー、…………」 …
山本伸一は、十三日朝、秋田文化会館で役員らと共に勤行したあと、市内での協議会に出席し、正午過ぎ、記念撮影の会場となる、会館前の公園へ向かった。 そこには、午前中、二回にわたって行われた勤行会の参加者が、記念撮影のために喜々として集まっていた…
何があっても負けない人に 東日本大震災から7年――。 3月11日に行われる「世界青年部総会」を目指し、愛する大東北の若人たちが、世界へ勇気の光を放ってくれている。 いかなる苦難(くなん)にも「負(ま)げでたまっか!」と挑(いど)み、希望の対話を広…
師弟栄光のバトンを君に 今、地涌の若人たちが、新しき偉大な歴史を創っている。 世界青年部総会」に向け、各国・各地の宝友から、広布拡大の喜びの声が届く毎日だ。 これほど頼もしいことはない。 青年を呼ぶのは、青年である。青年の心を揺さぶるものは、…
秋田県幹部会で山本伸一は、"人生の最も深い思い出とは何か"に言及していった。 「人それぞれに、さまざまな思い出がありますが、普通、それは、歳月とともに薄らいでいってしまうものです。 しかし、信心修行の思い出は、意識するにせよ、無意識にせよ、未…
山本伸一は、さらに関矢都美子に、力を込めて語った。 「さあ、新しい出発ですよ。二十一世紀を、二〇〇一年の五月三日をめざして、一緒に前進しましょう」 「はい。その時、私は八十一歳になっています。 必ず元気に生き抜きますから、また、お会いください…
大情熱にあふれた、山本伸一の指導が終わった。 秋田の友の胸には、"日本海の雄"としての誇りと決意がみなぎっていた。 退場にあたって伸一は、会場の後ろまで来ると、そこにいた一人の婦人に笑みを向けた。 田沢本部の婦人部指導長である関矢都美子であった…
山本伸一は、さまざまな苦難の風雪を乗り越えてきた秋田の同志に、自分の真情を率直に語っていった。 「私は、ずいぶん、人から騙されてきました。利用され、陥れられもしました。 弟子を名乗る者のなかにも、そうした人間がいることを知っていました。 『あ…
佐藤宅での勤行を終えると、山本伸一は、遺族らに、しみじみとした口調で語った。 「幸治さんは、本当に人柄のいい、信心一筋の人でした。大功労者です」 それから、皆の顔に視線を注いだ。 「幸治さんによって、佐藤家の福運の土台は、しっかりとつくられた…
佐藤幸治は、断固たる一念で、真剣に唱題を重ねた。 ある日、別の場所を掘り始めると、わずか二十六メートルほどで、奇跡のように地下水が噴出した。 水量は一分間に約二百十六リットルの水質良好の、こんこんたる水源であった。これによって、総本山境内に…
TowardMovement s’People a BuildingIkeda Daisaku byInternational Gakkai Soka, President2018, 26 January Nuclear of Prohibition the on Treaty(TPNW (Weapons Weapons Nuclear of Prohibition the on Treaty The international binding legally first …