小説「新・人間革命」 勝ち鬨 七十五  2018年3月8日

大情熱にあふれた、山本伸一の指導が終わった。
秋田の友の胸には、"日本海の雄"としての誇りと決意がみなぎっていた。
退場にあたって伸一は、会場の後ろまで来ると、そこにいた一人の婦人に笑みを向けた。
田沢本部の婦人部指導長である関矢都美子であった。
彼女は、一九七九年(昭和五十四年)一月、伸一が岩手県の水沢文化会館を訪問した際、秋田県の代表として懇談会に参加し、県内での僧と檀徒による、常軌を逸した学会攻撃の様子を報告した。
──七八年(同五十三年)二月、寺は御講のために訪れた学会員を入場させないために、檀徒たちが入り口に立って、追い返した。
しかし、関矢は、「あなたたちに、私を止める権利はありません」と言って本堂に入った。
すると今度は、住職が「あんたは、出てってくれ!」と怒鳴り散らした。
彼女は毅然として、理由を問いただした。
「学会は謗法だからだ」と言う。
すかさず、「なぜ、学会は謗法なんですか!」と一歩も引かず、学会の正義を訴えた。
"遂に障魔が襲い始めた!"と感じた関矢は、学会員の激励に奔走した。一婦人の堂々たる創価学会への大確信と、理路整然とした破邪顕正の言に、多くの同志が立ち上がっていったのである。
水沢での語らいから、三年がたっていた。
伸一は、関矢に語りかけた。
「先輩もいないなかで、本当によく頑張ってくれました。
学会を守ってくださっているのは、何があっても、私と同じ決意で、"自分が、皆を幸せにしていこう! 一切の責任を担い立っていこう!"という人なんです。
これが、学会の側に立つということです。
学会を担う主体者として生きるのではなく、傍観者や、評論家のようになるのは、臆病だからです。また、すぐに付和雷同し、学会を批判するのは、毀誉褒貶の徒です。
あなたは信念を貫き通してくださった。見事に勝ちましたね。ありがとう!」