小説「新・人間革命」 勝ち鬨 七十四 2018年3月7日

山本伸一は、さまざまな苦難の風雪を乗り越えてきた秋田の同志に、自分の真情を率直に語っていった。
「私は、ずいぶん、人から騙されてきました。利用され、陥れられもしました。
弟子を名乗る者のなかにも、そうした人間がいることを知っていました。
『あの男は下心があるから、早く遠ざけた方がよい』と言ってくる人もいました。
それでも私は、寛大に接し、包容してきた。
心根も、魂胆もわかったうえで、信心に目覚めさせようと、根気強く、対話しました。
また、幾度となく、厳しく、その本質を指摘し、指導も重ねました。
なぜか──騙されても、騙されても、弟子を信じ、その更生に、全力を注ぎ尽くすのが師であるからです。
それが、私の心です。
しかし、悪の本性を露わにして、仏子である同志を苦しめ、学会を攪乱し、広宣流布を破壊するならば、それは、もはや仏敵です。
徹底して戦うしかない。そこに、躊躇があってはなりません。
人を陥れようとした人間ほど、自分にやましいことがある。
自らの悪を隠すために、躍起になって人を攻撃する──それが、私の三十数年間にわたる信仰生活の実感です。
だが、すべては、因果の理法という生命の法則によって裁かれていきます。
因果は厳然です。その確信があってこそ仏法者です。
私どもは、広宣流布のため、世界の平和と人びとの幸福のために、献身し抜いてきました。
しかし、悪僧や、それにたぶらかされた人たちは、この厳たる事実を認識することができない。
大聖人は、色相荘厳の釈迦仏を、悪人がどう見ていたかを述べられている。
『或は悪人はすみ(炭)とみ(見)る・或は悪人ははい(灰)とみる・或は悪人はかたき(敵)とみる』(御書一三〇三ページ)
歪んだ眼には、すべては歪んで映る。
嫉妬と瞋恚と偏見にねじ曲がった心には、学会の真実を映し出すことはできない。
ゆえに彼らは、学会を謗法呼ばわりしてきたんです。悪に憎まれることは、正義の証です」
 
小説『新・人間革命』語句の解説
◎色相荘厳/色相荘厳とは、衆生に仏を求める心を起こさせるため、三十二相八十種好という超人的な特徴をそなえた仏の姿をいう。