2010-01-01から1年間の記事一覧

小説「新・人間革命」 厳護 7 12月15日

初の「牙城会の日」となった一九七六年(昭和五十一年)九月一日、東京・創価大学の中央体育館では、「牙城会」の祝賀の集いが行われた。その席上、「牙城会」の臙脂色のユニホームが発表されている。 この日、九州・長崎の地で、五十六歳の誕生日を迎え、「…

小説「新・人間革命」 厳護 6 12月14日

「学会本部も、会館も、広宣流布の牙城だ。その城を守る人材育成の組織だから、『牙城会』にしよう」 山本伸一は、男子部首脳に、こう伝えた。 牙城とは、大将のいる、城の本丸をさす言葉である。かつて中国で、大将の旗は、竿の先に象の牙を飾ったことから…

小説「新・人間革命」 厳護 5 12月11日

牙城会 君達ありて 創価城 栄え 勝ちなむ 広宣流布へと 創価の師子を育てようと、学会本部をはじめ、会館の警備にあたる青年たちの人材育成機関として「牙城会」が結成されたのは、一九七一年(昭和四十六年)の二月であった。 その十年ほど前から、男子部な…

小説「新・人間革命」 厳護 4 12月10日

山本伸一は、さらに、本部周辺の建物を見回りながら、「油断」について、「牙城会」の青年に語っていった。 「これから年末いっぱい、火災に限らず、詐欺や窃盗などの、さまざまな犯罪が多発しやすい時期になる。しかし、ともすれば、“まさか、自分はそんな…

小説「新・人間革命」 厳護 3 12月9日

山本伸一は、「牙城会」の二人の青年と共に、聖教新聞社に向かいながら、点検作業の基本を語っていった。 「建物の周囲には、何も置かないことが鉄則だ。特に、新聞紙や雑誌の束などの燃えやすい物は、絶対に置いてはならない。そこに放火されたら、大変なこ…

小説「新・人間革命」 厳護 2 12月8日

山本伸一が、学会本部の隣の建物まで来ると、ちょうど二人の青年が歩いて来た。胸に「G」の字をデザインした金のバッジが光っていた。「牙城会」の青年であった。 「牙城会」は、学会本部をはじめ、各地の会館の警備などに携わることを任務とした、青年部の…

小説「新・人間革命」 厳護1 12月7日

一九七六年(昭和五十一年)、晩秋の夜であった。 山本伸一は、学会本部での執務を終え、外に出た。冬が間近に迫った夜の外気は、既に冷たかった。 冬は、火災も起こりやすい。伸一は、“今日は、この周辺の学会の施設を点検しながら、自宅に帰ろう”と思って…

小説「新・人間革命」 母の詩 55 (完) 12月6日

十一月中旬、中部・北陸・関西指導に旅立った山本伸一は、戸田城聖の生誕の地・石川県に足を運んだ。 十三日、彼は、石川文化会館で、「戸田記念室」を設置し、石川広布の原点の地として荘厳していくように提案。翌日には、富山文化会館を訪問し、「牧口記念…

小説「新・人間革命」 母の詩 54 12月4日

初の海外訪問から十六年――山本伸一は、ソ連のコスイギン首相とも、中国の周恩来総理とも、また、アメリカのキッシンジャー国務長官とも会談し、平和への対話を重ねてきた。 つまり、米・中・ソという、当時、世界平和の大きなカギを握る国々へ飛び込み、首脳…

小説「新・人間革命」 母の詩 53 12月3日

“先師・牧口初代会長、恩師・戸田第二代会長――この両先生の死身弘法の精神を継承せずしては、広宣流布の未来も、学会の未来もない!” これが、山本伸一の結論であった。だから彼は、全国の研修所(現在の研修道場)をはじめ、各地の主要会館などに、その精神…

小説「新・人間革命」 母の詩 52 12月2日

九月十六日、山本伸一は、牧口園で行われた、戸田城聖の歌碑の除幕式に出席した。 代表メンバーの手で、白布が取り除かれると、石に刻まれた戸田の歌が、目に飛び込んできた。 妙法の 広布の旅は 遠けれど 共に励まし 共どもに征かなむ 一九五五年(昭和三十…

小説「新・人間革命」 母の詩 51 12月1日

山本伸一は、力説した。 「いかに仏法がすばらしく、御本尊が偉大であっても、それを教えてくれる人がいなければ、何も伝わりません。 永遠に無に等しい。ゆえに、大聖人は『法自ら弘まらず人・法を弘むる故に人法ともに尊し』(御書八五六ページ)と仰せに…

小説「新・人間革命」 母の詩 50 11月30日

牧口園の開園式では、「創立の志」をはじめ、「学会精神」「常住」「大慈」「大志」「一人立つ精神」「後継の弟子」など、初代会長・牧口常三郎の文字が刻まれた石の除幕式が一斉に行われた。 これは、創価の父・牧口の精神を偲ぶ、縁となるものを残したいと…

小説「新・人間革命」 母の詩 49 11月29日

創価学会の興隆は、初代会長・牧口常三郎と、第二代会長・戸田城聖という師弟の、不惜身命の精神があったからであると、山本伸一は、深く痛感していた。 日蓮大聖人は、報恩抄に「根ふかければ枝しげし源遠ければ流ながし」(御書三二九ページ)と仰せである…

【第39回】 民衆の凱歌轟く 福井  2010-11-6

希望ある限り道は開ける! 「皆さまは見事に勝ちました!」 池田名誉会長の力強い勝利宣言だった。 平成2年(1990年)10月22日、福井文化会館での日本海3県(福井・石川・富山)合同総会。宗門の迫害を越えて、創価の師弟城を守りゆく同志の決意が…

【第38回】 東北の要の人材城 福島 2010-10-29

広布の道は「平和の道」 昭和59年(1984年)5月13日の第1回福島青年平和文化祭。午後1時半、池田名誉会長が会場の信夫ケ丘競技場に到着した。すぐさま、雨の中、傘もささずにグラウンドへ。 「本当にご苦労様」 「風邪をひかないように」 場内を…

小説「新・人間革命」 母の詩 48 11月27日

九月十三日に営まれた山本伸一の母・幸の本葬儀の際も、伸一の心を悩まし続けていたことがあった。台風十七号が、各地で豪雨をもたらし、被害を広げながら北上していたのである。 被災地域は刻々と拡大し、十三日には、沖縄、九州、四国、中国、近畿、東海、…

小説「新・人間革命」 母の詩 47 11月26日

山本伸一の母・幸が他界したことを知った関西の創価女子学園(当時)の生徒たちは、すぐに、皆で「母」の歌を歌い、テープに吹き込んだ。冥福を祈っての合唱であった。そして、そのテープを、伸一に贈った。 九月九日の朝、伸一は、それを聴いた。乙女たちの…

小説「新・人間革命」 母の詩 46 11月25日

山本伸一の母・幸の通夜は、九月七日に営まれ、翌八日には密葬が行われた。会場は、いずれも、東京・大田区の実家であった。 出棺となった八日の午後二時過ぎ、車に乗ろうとして、伸一は空を見上げた。 青空に雲が流れていた。 十九年前のこの日は、横浜・三…

小説「新・人間革命」 母の詩 45 11月24日

東京文化祭を終え、大田区の実家に駆けつけた山本伸一は、深い眠りについた母・幸の顔を、じっと見ていた。幾重にも刻まれた皺が、苦闘と勝利の尊き年輪を感じさせた。 時計の音が、部屋に響いていた。 伸一は、午前一時半ごろまで付き添っていたが、ひとま…

小説「新・人間革命」 母の詩 44 11月23日

子育ての苦労は限りない。それだけに、親が子どもを育てることの意義を、どう自覚し、いかなる哲学を胸中に打ち立てているかが、重要になる。 もちろん、子育て支援や虐待の防止のためには、行政などの取り組みも必要不可欠である。 しかし、より重要なこと…

小説「新・人間革命」 母の詩 43 11月22日

子どものなかには、難病にかかって、生まれてくる子もいる。その宿命に真正面から向き合うことは、親にとっても、あまりにも辛く、苦しいことにちがいない。 しかし、皆が尊極の「仏」の生命をもち、偉大なる使命をもって誕生しているのだ。 ある婦人は、生…

小説「新・人間革命」 母の詩 42 11月20日

近年、育児放棄をはじめ、児童虐待が急増しつつある。その要因には、“育児に縛られず、自由でありたい”という強い願望と、親としての責任感の欠如がある。 本来、子育ての責任を自覚し、自分のエゴイズムをコントロールする心を培うことこそ、親になるための…

小説「新・人間革命」 母の詩 41 11月19日

わが子を、戦争で失うことなど、絶対にいやだ。戦争には、断固として反対だ――それは、すべての母の思いであろう。 しかし、それが、平和思想となって、深く広く根を下ろしていくには、自分だけでなく、子どもを戦場に送り出す、すべての母や家族の、さらには…

小説「新・人間革命」 母の詩 40 11月18日

「母性は本来の教育者であり、未来に於ける理想社会の建設者」(注1)とは、創価の父・牧口常三郎初代会長の言葉である。 トルストイは「母親のこころは、――それは地上における神性の驚くべき至高の現われです」(注2)と語り、オーストラリアの詩人ジェフ…

小説「新・人間革命」 母の詩 39 11月17日

「母」の歌にまつわる逸話は尽きない。 一九九二年(平成四年)十二月、創価大学のロサンゼルス・キャンパス(当時)で、語学研修中の創価女子短大生が、米国の人権運動の母ローザ・パークスと懇談する機会を得た。 短大生が尋ねた。 「模範とされるのは、ど…

小説「新・人間革命」 母の詩 38 11月16日

山本伸一は、ソニア夫人に懸命に訴えた。 「運命を価値に転換してください。その人が人間としての勝利者です。王者です。 ソニア夫人が悲しめば、亡きご主人も悲しまれるでしょう。夫人が笑顔で立ち上がれば、ご主人も喜ばれるでしょう。夫人とご一家の勝利…

小説「新・人間革命」 母の詩37  2010年 11月13日

山本伸一は、八月六日、鹿児島の九州総合研修所(現在の二十一世紀自然研修道場)での諸行事に出席するため、東京を発った。 出発の前に、彼は、母・幸のもとに、「母」の歌のテープを届けてもらった。 母の容体は、幸いにも小康状態が続いていた。そして、…

小説「新・人間革命」 母の詩 36 11月12日

植村真澄美と松山真喜子は、「もう少し、歌いやすい曲に」という山本伸一の思いに応えようと、苦心を重ね、曲を作り直した。 彼女たちは、ようやく出来上がった「母」の歌をテープに吹き込み、八月四日の夕刻に本部に届けた。その夜、伸一は、妻の峯子とテー…

小説「新・人間革命」 母の詩 35 11月11日

七月十八日、「人間革命の歌」が完成した時、山本伸一は、植村真澄美と松山真喜子に言った。 「あなたたちに、頼みたいことがある。私の作った『母』の詩に、曲をつけてもらえないだろうか。 もちろん、自由詩だから、そのまま、曲をつけるのは難しいと思う…