小説「新・人間革命」 母の詩 54 12月4日

初の海外訪問から十六年――山本伸一は、ソ連のコスイギン首相とも、中国の周恩来総理とも、また、アメリカのキッシンジャー国務長官とも会談し、平和への対話を重ねてきた。
つまり、米・中・ソという、当時、世界平和の大きなカギを握る国々へ飛び込み、首脳と友誼の絆を結び、人間交流の新しい道を開いてきたのである。
 平和の道も、友好の道も、すべては、勇気ある対話から始まる。
 初代会長・牧口常三郎は、獄中にあって、取り調べの予審判事にも、「さあ、討論しよう!」と言って、堂々と仏法を説いた。
第二代会長・戸田城聖も、時の首相であろうが、いかなる権力者であろうが、恐れなく、仏法への大確信を語り抜いている。
 社交辞令の語らいにとどまっていれば、本当の友情は生まれない。勇気の対話があってこそ、魂の打ち合いと共鳴があり、相互理解も、深き友情も培われていくのだ。
 関西から中部に移動した伸一は、十月五日、中部第一総合研修所で、牧口、戸田両会長の「父桜」「母桜」を、それぞれ植樹。
さらに、この年が、牧口の生誕百五年にあたることから、樹齢百五年の楠を記念植樹したのである。
 十月下旬、伸一は、北海道・東北指導に訪れ、二十五日には、戸田の故郷・厚田村での戸田記念墓地公園の着工式に出席した。
その建設構想は、戸田先生を宣揚し、恩師を育んだ故郷を、広く世界に知らしめ、三世にわたる師弟の誓いの天地にしたいとの思いから、彼が練り上げてきたものであった。
 また、東北では、青森県十和田湖町(現在の十和田市)の東北総合研修所を訪問し、牧口初代会長の「授記」「一人立つ精神」の文字が刻まれた石などの除幕式に臨んだ。
 今こそ、先師、恩師の精神を、全国、全世界の同志に伝え残し、一人ひとりの胸中深く、広宣流布の魂を刻印していくのだ!
 伸一は、師弟の精神を永遠ならしめるために、走り抜いたのである。