2015-06-01から1ヶ月間の記事一覧
人是(これ)を用ひず機に叶はずと云(い)へども強(し)いて法華経の五字の題名(だいみょう)を聞かすべきなり、是ならでは仏になる道はなきが故なり (法華初心成仏抄、552㌻) 〈通解〉 人が用いず、機根に合わないといっても、強いて法華経の五宇の題…
太陽は 創価の母の 異名なり 幸と平和の 光いやまし 本当に教養ある人とはどのような人だろうか。 スイスの哲学者ヒルティの答えは明快だった。 それは「常にあらゆる善に対して感激と熱意とを持っている」人なりと。 私には、創価の女性たちの姿と重なり合…
世界宗教への飛翔 万歳を 同志(とも)と叫ばむ 五月晴れ さらに続けよ 前進勝利を 尊き団結の奮闘で「5月3日」を凱旋で飾った我らは、勇気凜々(りんりん)と新たな前進を開始した。 共々に出発しよう! 創価の師弟は、永遠に前へ前へ進むのだ。 「私は続…
愛弟子と 共に歌わむ うれしさよ 負けじ魂 炎と燃えて それは、命に轟きわたる歌声であった。 皆の瞳に、勇気凜々(りんりん)と誓いが輝き光っていた。 わが学園生は断じて負けない。未来は盤石だ――心からそう感じた。 この3月16日、さらに今月8日、東…
「春の到来は 『混沌(カオス)』 からの 『宇宙』 の創造であり、 『黄金時代』 の到来であるかのように感じられる」と、アメリカの思想家ソローは語った。 我らも春の到来とともに、生まれ変わった息吹で新たな価値を創造し、人材の花が咲き誇る黄金時代を…
不屈なる 歴史を創りし 不二の友 新生の花 三世に薫らむ 北国(きたぐに)の春は、厳しい冬を勝ち越えた喜びが、弾けるように花開く。 福島県・三春町(みはるまち)の「三つの春」という町名の由来には、 “梅、桃、桜が一斉に咲き薫る" との伝承があると伺…
厳しい寒さの中、春告草(はるつげぐさ)の名のごとく、百花に先駆けて、凜然(りんぜん)と梅の花が咲き始めた。 「冬は必ず春となる」(御書1253㌻、「妙一尼御前御消息」)との御聖訓が、北国の健気(けなげ)な同志の姿とともに、ひとしお胸に迫る。 2…
「SGI」40周年に誓う 人類の平和へ 盟友《とも》よ踊り進もう! 一人立つ勇気を 一人に希望の励ましを 歌は躍進の力である。青年の歌声の湧くところ、希望が高鳴る。 歌は友情の絆である。民衆の歌声の響くところ、平和が広がる。 新春、九州の若人が歌い…
修利槃特(すりはんどく)と申すは兄弟二人なり、一人もありしかば・すりはんどくと申すなり、各各(おのおの)三人は又かくのごとし一人も来(きた)らせ給へば三人と存じ候なり (転重軽受法門、1000㌻) 〈通解〉 (釈尊の弟子の)修利槃特というのは、兄…
人是(これ)を用ひず機に叶はずと云(い)へども強(し)いて法華経の五字の題名(だいみょう)を聞かすべきなり、是ならでは仏になる道はなきが故なり (法華初心成仏抄、552㌻) 〈通解〉 人が用いず、機根に合わないといっても、強いて法華経の五宇の題…
曼陀羅(まんだら)と云(い)うは天竺(てんじく)の名なり此(ここ)には輪円具足(りんえんぐそく)とも功徳聚(くどくじゅ)とも名(なづ)くるなり、此(こ)の御本尊も只信心の二字にをさまれり以信得入(いしんとくにゅう)とは是(これ)なり (日女…
李広(りこう)将軍と申せし・つはものは虎に母を食(くわ)れて虎に似たる石を射しかば其(そ)の矢羽(は)ぶくらまでせめぬ、後(のち)に石と見ては立つ事なし (四条金吾殿御返事、1186㌻) 〈通解〉 昔、中国の李広将軍という武将は、虎に母を食い殺さ…
釈迦・多宝・十方の仏・来集して我が身に入(い)りかはり我を助け給へと観念せさせ給うべし (弥三郎殿御返事、1451㌻) 〈通解〉 “釈迦仏・多宝仏・十方の仏よ、集い来って、わが身に入りかわり、我を助けたまえ” と祈念しなさい。 ~同志への指針~ 広宣…
敢(あえ)て日蓮が私曲に非ず只(ただ)偏(ひとえ)に大忠を懐(いだ)く故に身の為に之を申さず神の為・君の為・国の為・一切衆生の為に言上(ごんじょう)せしむる所なり (北条時宗への御状、170㌻) 〈通解〉 これは日蓮の身勝手な邪見ではない。ただ…
御いのりの叶い候(そうら)はざらんは弓のつよ(強)くしてつる(弦)よはく・太刀(たち)つるぎ(剣)にて・つかう人の臆病なるやうにて候べし、あへて法華経の御とがにては候べからず (王舎城事、1138㌻) 〈通解〉 祈りが叶わないのは、弓が強いのに…
設(たと)い業病(ごうびょう)なりとも法華経の御力(おんちから)たのもし、阿闍世(あじゃせ)王は法華経を持(たも)ちて四十年の命をのべ陳臣(ちんしん)は十五年の命をのべたり (富木尼御前御返事、975㌻) 〈通解〉 たとえ業病であっても、法華経…
6月は、雨が多い季節です。雨のなかでも、明るく咲いているのがアジサイの花です。 アジサイには「元気な女性」という花言葉があります。花々が生き生きと仲良く集まった姿は、いつも元気なお母さんたちのようだね。 アジサイの花の色は、何色に見えますか…
私は、5月が大好きです。 大空にも、大地にも、草木にも、そして少年少女のみなさんの心にも、生命のエネルギーがみなぎる季節だからです。 この希望あふれる5月には、大事な記念日があります。 一つは、創価学会の「お正月」というべき、5月3日の「創価…
新入生のみなさん、晴れの入学おめでとう! 進級したみなさんも、おめでとう! 新1年生は今、「友だちできるかな?」「どんな勉強をするのかな?」と胸がドキドキしていることでしょう。不安なことや、心配なこともあるかもしれません。 でも、みんな大丈…
卒業するみなさん、おめでとう! 6年間、よくがんばったね。 みちがえるように、りっぱに成長したみなさんに、私は、ご家族とともに大拍手を送ります。 みなさんを、おうえんしてくださった学校の先生方にも、感謝を忘れないでいこうね。 私も、お世話にな…
山本伸一は、梅園新村記念館を見学しながら、妻の峯子に言った。 「中国の改革のために奔走された周総理と鄧穎超先生が、一緒に過ごされた時間は、世間一般の夫婦と比べれば、決して長くはなかったはずだ。 しかし、互いに、深い愛情と尊敬、信頼で結ばれて…
鄧穎超の母・楊振徳は、一九四〇年(昭和十五年)十一月、病のため、六十五歳で世を去る。 身なりも質素で、清貧に甘んじ、雑草のごとく強く、いかなる迫害にも屈することのない、気高き信念の生涯であった。 彼女は、娘にこう語ってきた。 「人は周夫人と言…
長征は肉体の限界を超えた行軍であった。 食糧もほとんどなく、野草、木の根も食べた。 ベルト等の革製品を煮てスープにした。 敵の銃弾を浴びるなか、激流に架かるつり橋も渡った。 吹雪の大雪山も越えた。 無数の川を渡り、大草原を、湿地帯を踏破した。 …
「長征」――それは、一九三四年(昭和九年)十月、蒋介石の国民党軍に、江西省瑞金の中央根拠地を包囲、猛攻撃された中国共産党軍が、陝西省北部へと移動していく大行軍をいう。大西遷ともいわれている。 行程は、広西、湖南、貴州、雲南、四川などの各省を経…
一九三一年(昭和六年)、中国共産党は、中央根拠地を江西省の瑞金に置き、中華ソビエト共和国臨時中央政府を樹立する。 だが、国民党軍は、大軍をもって、この中央根拠地を包囲したのだ。 周恩来も、鄧穎超も、瑞金にあって苦闘を続けた。 鄧穎超は、髪を切…
孫文亡きあと、国民党に亀裂が走る。共産党を敵視する右派によって、孫文の遺志を継いで国共合作を推進してきた、国民党左派の中心であった廖仲愷が暗殺された。 彼は、中日友好協会の会長となる廖承志の父親である。 鄧穎超は、廖仲愷の夫人・何香凝を支え…
鄧穎超は、中国の改革に生涯を捧げようと、共産主義の運動に加わる。 国民党と共産党は、協力して軍閥と戦うために、国共合作に踏み切った。 天津で彼女は、共産党と国民党の若き女性リーダーとなった。 一九二五年(大正十四年)三月、中国統一をめざした「…
共産主義に自らの進路を見いだした周恩来は、それを鄧穎超に手紙で知らせた。 彼女も、中国の改革を可能にする道を模索し続けていた。 そして、「あなたの考え、思想に完全に賛同します。 私はあなたたちと同じ道をともに進みたいと思います」(注1)と、…
鄧穎超は、北京から戻り、天津の女学校で教壇に立つことになった。 天津にあって、彼女が最も情熱を注いだのは、中国の封建的な思想、習慣、制度のなかで、自由も、尊厳も奪われ、「奴隷」のように生きなければならなかった多くの女性たちの解放であった。 …
天津では、男女学生が中心となって、帝国主義国家への抗議の声が大きく広がっていった。十万人の国民大会やデモ行進も行われた。 軍隊、警察の弾圧は激しくなった。同志が不当逮捕されるという事件も起こった。その抗議に行った周恩来も逮捕された。 学生た…