小説「新・人間革命」 革心46 2015年 6月23日

一九三一年(昭和六年)、中国共産党は、中央根拠地を江西省の瑞金に置き、中華ソビエト共和国臨時中央政府を樹立する。
だが、国民党軍は、大軍をもって、この中央根拠地を包囲したのだ。
周恩来も、鄧穎超も、瑞金にあって苦闘を続けた。
鄧穎超は、髪を切り、共産党の革命軍である紅軍の帽子、軍服に身を固めた。
食糧も満足にないなかで、皆を励ましながら、働き通した。
しかも、冗談を絶やさず、苦労を笑いのめすかのように、いつも周囲に、明るい笑いの輪を広げた。
なぜ、彼女は、あれほど明るいのか――皆は不思議でならなかった。
鄧穎超は、周恩来に、こう語っている。
「私は根が楽天的なのよ。それに私たちが暗い顔をしていたら、みんなに伝染してしまうでしょう。
今は苦しいけど、私たちの革命は先々光明に満ちているということを態度で示さなければいけないと思うの。
みんなに勝利に対する確信を持ってもらいたいの」(注1)
理想も、信念も、振る舞いに表れる。一つの微笑に、その人の思想、哲学の発光がある。
国民党軍は、猛攻撃を開始し、拠点は次々と落とされていった。鄧穎超は、砲弾のなか、物資の運搬や傷病兵らの看護に奔走し、皆を激励し続けた。
彼女も、彼女に励まされた女性たちも、自分の着ている衣服を脱いで傷病兵を包み、配給されたわずかな食糧を戦死した兵士の子どもたちに与えた。
鄧穎超の体は、日ごとにやせ細り、遂に大量に血を吐いて倒れ、高熱に浮かされた。
立つこともできなかった。肺結核であった。
当時は、「不治の病」とされていた。
党は、中央根拠地の瑞金からの撤退を決めていた。
母の楊振徳は、動けない傷病兵の看護のために残り、鄧穎超は、死を覚悟で紅軍の撤退作戦に参加する。
母は告げた。「最後まで生きなさい、革命はあなたを必要としている」「命あるかぎり戦いなさい」(注2)と。
娘は、数歩歩いては倒れ、よろめきながら「長征」を開始する。