小説「新・人間革命」 革心45 2015年 6月22日

 
孫文亡きあと、国民党に亀裂が走る。共産党を敵視する右派によって、孫文の遺志を継いで国共合作を推進してきた、国民党左派の中心であった廖仲愷が暗殺された。
彼は、中日友好協会の会長となる廖承志の父親である。
鄧穎超は、廖仲愷の夫人・何香凝を支え続け、夫人が推進してきた女性解放運動を大きく発展させていった。
当時の中国には、南の広州に国民政府があり、北の北京に軍閥の政府があった。国民革命軍は北伐を開始した。
周恩来は列強支配の中心地・上海に潜み、共産党の地下組織を指揮し、労働者を蜂起させる。制圧した上海に、蒋介石率いる国民革命軍が到着する。
この上海で、国民党右派の蒋介石らは、反共クーデターを起こす。共産党員を次々と捕らえ、殺害していった。
また、北伐の伸展にともない、国民党左派の主導で移された武漢政府に対して、蒋介石は南京に政府を樹立。国共合作にピリオドが打たれた。
共産党への弾圧は激しさを増し、周恩来には、多額の懸賞金が懸けられた。広州にいた鄧穎超の身も危険にさらされた。
彼女は、母の楊振徳と共に変装して広州を脱出し、周恩来が身を潜めている上海へ向かった。
上海で夫妻は再会できたものの、周恩来は、共産党の再建に奔走し、ほとんど一緒に過ごすことはなかった。
一九二七年(昭和二年)八月、共産党は、周恩来の指揮のもと、南昌で蜂起する。だが、何倍もの力をもつ蒋介石軍の激しい追撃を受け、広東へ南下していった。
周恩来は、この時、マラリアによる高熱で苦しみ、三日間も昏睡状態に陥っている。
ようやく一命を取り留めて上海に戻るが、夫妻は、五年間にわたって地下活動を展開しなければならなかった。
その間、多くの同志が殺されていった。裏切りにもあった。それでも、二人は、闘争を続けた。
苦渋の忍耐の日々にあっても、一歩も引かず、赤々と闘魂を燃やし続ける人こそが勝利者であり、そこに、目的の成就もある。
 
■主な参考文献
 
西園寺一晃著『鄧穎超』潮出版社
『人民の母――鄧穎超』高橋強・水上弘子・周恩来 鄧穎超研究会編著、白帝社
ハン・スーイン著『長兄――周恩来の生涯』川口洋・美樹子訳、新潮社
サンケイ新聞社著『蒋介石秘録』サンケイ出版