2014-07-01から1ヶ月間の記事一覧
山本伸一は、戸田城聖に、理路整然と自分の意見を述べていった。 「人材として大成していくうえで、最も重要なことは、使命に目覚めることではないでしょうか。 私たちには、地涌の菩薩として、すべての人を幸福にし、世界の平和を築く、広宣流布という大使…
戸田城聖は、本丸跡から仙台市街を望み、山本伸一に語った。 「伊達政宗は、幼少のころ、右眼を失明し、独眼竜と言われていたが、一方の目 で、未来を、世界を見ていたのだ。 彼の、この開明性と、家格より手腕を重視して人を取り立てたことが、藩を強化し、…
慶長十六年(一六一一年)十月、仙台をはじめ、北日本に地震が起こる。地震の被害は、それほど大きくはなかったが、大津波に襲われたのだ。 三陸地方では、津波の高さが二十メートルに達し、仙台平野は、瞬く間に波にのまれていった。 『駿府記』によれば、…
青葉城址の階段を上る戸田城聖の息は、次第に荒くなり、歩調が乱れ始めた。 山本伸一は、すぐに戸田の腕を取り、体を支えた。 師は弟子に身を委ねながらも、上機嫌で、本丸跡をめざした。 本丸跡は広場になっており、平服を着た伊達政宗のコンクリート像が立…
まだ、戦える。力ある限り、私は行動し続ける──五月二十八日夕刻、宮城県幹部会を 終えた山本伸一と峯子は、仙台市内の東北婦人会館を訪問した。 婦人部をはじめ、五十人ほどの代表との懇談会に出席するためであった。 この懇談のなかで伸一は、宮城県創価学…
山本伸一は、男子部の合唱団一人ひとりに、じっと視線を注ぎ、言葉をついだ。 「正式名称は『宮城無名合唱団』でどうだろうか。 諸君が社会で実証を示し、信頼を勝ち取って、偉くなり、有名になっていくことも大事です。しかし、それ自体が目的ではない。 根…
大航海には、当然、風雨も、波浪もある。人の生涯もまた同じである。 幹部になったとしても、人生にあっては、さまざまな困難に直面するものだ。病魔と闘い続けねばならぬこともあろう。事業に失敗したり、失業したりすることもあろう。家庭不和で悩むことも…
日蓮大聖人は「賢きを人と云いはかなきを畜といふ」(御書一一七四p)と仰せである。 人として生き、広宣流布を進めていくうえでも、必要なのは賢明さである。ましてや「創価」とは、価値創造を意味する。 ゆえに、日々、価値的に生きるための、創意、工夫を…
参加者は、真剣な表情で、山本伸一に求道の視線を注いでいた。 伸一は、場内を見渡した。青年時代に共に戦った多くの人たちの顔があった。 皆、幾筋もの皺が刻まれ、白髪も目立っていた。 彼は、健康の問題についても、触れておこうと思った。 「特に壮年部…
山本伸一は、言葉をついだ。 「師弟だけでなく、同志も、夫婦も、兄弟も、苦楽を共にしていくなかで結合の度を増 し、精神の美しき輝きを放っていきます。 創価学会の同志愛、団結の強さの要因も、そこにあるんです。 広宣流布の活動では、正念場となるよう…
冥の照覧の大確信を 信心は格好ではない。「戦う心」で決まる。 男子がひとたび立つならば、「戦う心」を燃やして、「これだけ道を開いた」「これだけ拡大した」という歴史を創るのだ。 誰が見ていなくとも、誰が褒めなくとも、誇り高く、わが使命の劇を演じ…
力ある人間指導者に 夕張事件、大阪事件――「三類の強敵」が競い起こる中、わが学生部は誕生した。 恩師・戸田城聖先生は、「ただ嬉しいという言葉以外にない」と喜ばれた。 正義の力ある人間指導者よ、踊り出でよ! 権力の魔性と戦う矢面にあって、私は北海…
最後まであきらめない人が勝つ もうひとがんばりで、楽しい夏休みがやってくるね。 長い休みなので、ふだん、できないことに、じっくり取り組むチャンスです。みな、暑さに負けず、元気に挑戦していこう! そして、何でもいい、自分らしく、のびのびと、新し…
創価学会の組織は、広宣流布のためにある。つまり、一人ひとりが信心の向上を図るとともに、人びとに仏法を教え、自他共の幸福を築き上げていくためのものである。 いわば、人間を、個々人を、守り、育むのが学会の組織であり、その責任を分かちもち、担うた…
山本伸一は、中津川美恵を包み込むように笑顔を向けた。 「あなたは、ご主人亡きあと、立派に子どもさんを育ててこられたんですね。すごいことです。勝ちましたね。母は偉大です。 今日は、この東北平和会館でゆっくりしていってください。皆さんの会館です…
中津川美恵の夫は、病床で息を引き取る前に、彼女の手を取って言った。 「大変だろうが、子どもたちを頼む。誰からも後ろ指をさされることのない、立派な子どもに育ててくれよ。頼んだぞ……」 「わかりました。きっと、誰からも信頼される立派な人に、信心の…
どの県、どの地域にも、繁栄の花を咲かせ、幸せの果実を実らせることが広宣流布である。 山本伸一は、その前進のために、県ごとに、さらには市町村ごとに、細かく光を当て、人材を育もうと、少しでも時間があれば、皆と懇談するように努めていたのである。 …
懇談会のあと、山本伸一は、東北平和会館の管理者室にも行き、語らいのひと時をもった。 さらに、会議室で岩手県から参加した代表とも懇談した。 彼は、岩手の幹部の報告に耳を傾けたあと、力を込めて訴えていった。 「岩手県は、面積も広い。旧習も深く、学…
山本伸一は、草創期以来、東北の同志を、じっと見続けてきた。 そのなかで実感してきたことは、どんな困難に遭遇しても、決して弱音を吐かないということであった。 東北の人びとは、冷害をはじめ、チリ津波など、さまざまな災害に苦しんできた。 しかし、彼…