求道27  2014年7月15日

青葉城址の階段を上る戸田城聖の息は、次第に荒くなり、歩調が乱れ始めた。
山本伸一は、すぐに戸田の腕を取り、体を支えた。
師は弟子に身を委ねながらも、上機嫌で、本丸跡をめざした。
本丸跡は広場になっており、平服を着た伊達政宗のコンクリート像が立っていた。
以前、ここには、政宗の三百回忌にあたる一九三五年(昭和十年)に設置された、彼の
銅製の騎馬像があった。
だが、戦時中、金属類回収令によって、銅像は撤去されてしまった。
そして、伸一が戸田と共に青葉城址を訪れた、この前年の五三年(同二十八年)に、
平服姿で立つ政宗のコンクリート像が建てられたのである。
兜を被り、鎧を身につけて、刀を差した騎馬像は、戦闘的であることから、平服の政宗像になったという。
戸田は、この立像を見上げて言った。
「鎧兜を脱いだ政宗か……。どうも、イメージが違うな。
しかし、政宗は武道だけでなく、優れた知恵をもち、世界に眼を開き、文化への関心も深かった。
そう考えると、これも政宗らしいといえるのかもしれぬ」
後の話になるが、市民の間から、政宗の騎馬像を望む声があがり、六四年(同三十
九年)に騎馬の銅像が復元されている。
青葉城の本丸跡に立つと、朝靄のなかに仙台市街が広がり、眼下には、緑に縁取
られた広瀬川が見えた。戸田は、街を指さした。
「城は街の中心部に建てることが多いが、政宗は、仙台の街づくりにあたって、中心
部には商家を、南北の幹線道路沿いには町屋敷を並べ、商売上の特権も与えている。
彼は、藩を豊かにするために、商業を活発化させていくことの重要性を痛感していた
のだろう。
ところが、大きな試練が襲いかかる。地震津波だよ。それも一度だけではない。
詳しいことはわからぬが、伊達藩の受けた被害は甚大であったことは間違いない。
私は、政宗の偉さは、その試練に敢然と立ち向かっていったことにこそあると思う」
試練は、人間の力を試し、鍛える。