2012-04-01から1ヶ月間の記事一覧
「友好の陽光(ひかり)を! 信頼の花また華を!」 創価学会名誉会長 池田大作 わが人生 一生 飾らむ 勝利して 春さながらの 太陽 浴びゆけ 「語り合うことが大事です。そこから新しい発見が必ず生まれます」 私の大切な友であるモスクワ大学のサドーヴニチィ…
「わが壮年部よ! 同志の城を頼む」 創価学会名誉会長 池田大作 君も勝て 我も勝ちなむ 断固して この一生を 勝利の賢者と 壮大なシルクロードの天地に伝わってきた格言に、「下り坂の後は必ず上り坂が来るように、男はどんな状況でも活路を見出す」とある。 …
華陽の青春は朗らかなり 創価学会名誉会長 池田大作 勝利 咲く 幸福のスクラム 女子部かな 尊き使命に 功徳 溢れむ 「文明とは何か?」—この大きな問いに、アメリカ・ルネサンスの哲人エマソンは、きっぱりと答えた。「それは、良き女性の力なり」と。 女性…
「教育のための社会」の旭日に 牧口先生 劣等生なんていない 皆が優等生になれる 学校全体の調和と発展を願う青年教育者の祈りは、児童・生徒を包み、さらに、その子どもたちに関わる教職員にも広がっていくものでしょう。 祈りの第2の項目は、「全教職員か…
教育は子どもを信じ抜く戦い 青年教育者の誓願の祈り 全生徒から信頼される先生に 全教職員から信頼される先生に 全保護者から信頼される先生に 「教師こそ最大の教育環境なり」──これは、私が教育本部の皆さん方と深く共有する信念です。 まもなく卒業の季…
努力し抜く命に人の努力は映る 社会事業の中で子どもの教育に携わった、アメリカの人権の母エレノア・ルーズベルトも語っています。 「人生に勇敢に真正面から取り組む人は、経験とともに成長するものです。人格は、このようにして築かれていくのです」と。 …
我らは永遠に「人間教育」が起点 厳しい寒さが続いております。各地で大雪の被害が甚大になり、雪の事故も起きていると伺っています。心よりお見舞い申し上げます。 また、こうした中、子どもたちの無事安全を、わが子以上に心配してくださっている教育本部…
──なかなか対話のきっかけがつかめない、という青年の声も聞きます。 名誉会長 あいさつは、それ自体、素晴らしい対話です。 かの釈尊も「自分から語りかける人」だったと言われています。あせらず、臆さず、元気なあいさつから始めればいいのです。 「おは…
「人のため」に今、何ができるか 青年の連帯が時代を変え、新しい価値を創造する ──池田先生は、ハーバード大学の著名な宗教学者ハービー・コックス博士と、仏法とキリスト教を結ぶ対話を重ねられ、『21世紀の平和と宗教を語る』を刊行されています。 博士は…
これまで以上に幸福に! 最も苦しむ人の心に、寄り添い続けるのが仏 ──東日本大震災から1年、被災地の同志は、池田先生が震災直後から贈り続けてくださった励ましを抱きしめ、苦難に耐えて、厳しい現実と戦ってきました。 東北は、聖教新聞の拡大でも全国模…
山本伸一は、皆に視線を注ぎながら、言葉をついだ。 「しかし、入会した時から、広宣流布のために生きようと決意している人は、ほとんどいないでしょう。 皆さんも、最初は、経済苦や病苦などの悩みを解決したくて、信心をしたはずです。 つまり、多くの人は…
山本伸一は、熊本の地から、多くの人材が育ってほしかった。それだけに、彼の言葉には、熱がこもっていった。 「先輩幹部が、後輩の奥底の一念を見極めていくには、自身の生命に濁りがあってはならない。 わが生命の鏡が、曇っていたり、歪んでいたりすれば…
山本伸一は、熊本文化会館で由来の碑の除幕を終え、部屋に入ると、次々に句を詠み、色紙に認めていった。 そして、ほどなく、県長ら十人ほどのメンバーと懇談会をもった。 「皆さんに贈るために、句を詠みました。 『勝城山 広布の万年 築きたり』 これは、…
熊本県青年部長の勝山平八郎は、山本伸一に指名され、会館の由来を三行ほど読んだ時、言葉がつかえた。 「法旗翩翻と」の「翩翻」の読み方が、頭に浮かんで来ないのだ。思い出すまでに、二、三秒かかった。 さらに、その数行あとの「聳ゆ」でつまずき、最後…
『人材を見つけよう! 人材を育てよう! 人材の創価城を築こう!』 山本伸一は、そう深く決意しながら、対話と励ましの指導旅を続けた。 中国・蜀漢の名宰相・諸葛孔明は、「国を治める道は、力を尽くし、優秀な人材を見出し、登用することにある」(注)と…
佐賀から熊本に向かう五月二十七日も、山本伸一は、朝から激励のため、色紙などに筆を走らせた。 そして、早めに昼食をすますと、佐賀文化会館のロビーに出た。 県長の中森富夫の両親や、県指導部長になった永井福子の母親らと、会うことにしていたのである…
山本伸一の散髪をしている緒高武士の傍らには、妻の紗智子が立っていた。 彼女は、次々と、伸一に報告していった。 ──以前は病に苦しみ、二度も大手術をしたが、一九五九年(昭和三十四年)に入会して以来、次第に健康を回復していったこと。 主人は、戦時中…
懇談会のあと、山本伸一が向かったのは、学会員が営む緒高理容店であった。 彼は、店主の夫人である緒高紗智子との約束を果たそうと、訪れたのである。 ──三日前、緒高紗智子は、北九州市に下宿して大学に通う長男と、北九州文化会館の見学に行った。 その時…
山本伸一は、この県幹部との懇談会でも、盛んに青年との対話に努めた。 彼は、テーブルの隅に座っていた、県男子部長の飯坂貞吉に声をかけた。 そして、飯坂から、若くして両親を亡くしていることや、経済的な事情から大学進学を断念せざるを得なかったこと…
五月二十六日の午後五時過ぎからは、佐賀県創価学会の広布功労者追善法要が、山本伸一の導師で、厳粛に営まれた。 引き続き彼は、県幹部ら十人ほどとの懇談会に出席した。佐賀市内の学会員が経営する食事処で、夕食を共にしながらの語らいであった。 伸一は…
山本伸一は、徳永明と妻の竹代に、力を込めて訴えた。 「大聖人は、『南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さは(障)りをなすべきや』(御書一一二四㌻)と断言されている。 何があっても、悠々と題目を唱え抜き、信心の炎を燃やし続けていくならば、…
徳永明は、二十六日、佐賀文化会館の開館記念勤行会終了後に行われる、記念植樹の役員に就いた。 彼は、文化会館の庭にある楠の前で、植樹用のシャベルを手に立っていた。 そこに山本伸一が姿を現した。 「どうもご苦労様! さあ、植樹をしよう」 徳永は、『…
山本伸一の佐賀県訪問の三日前、外出から戻ってきた徳永竹代は、息を弾ませながら、夫の明に告げた。 「よかもん、あったよ! 贈答品販売店の店頭に、師子の像があったよ!」 翌日、徳永明は、その店を訪ね、店員に、師子の像を購入したいと語った。 店員の…
輸送班のメンバーが九州総合研修所から帰って行ったあと、山本伸一と峯子は、勤行の折に、徳永明の妻・竹代の平癒を祈った。 日蓮大聖人は、「病によりて道心はをこり候なり」(御書一四八〇ページ)と仰せである。 “さらに、強盛な信心を奮い起こし、見事に…
山本伸一の質問に男子部の幹部が答えた。 「テントに残り続けていたのは、佐賀県の輸送班です!」 「そうか。意気盛んだな。しかし、少しでも危険な状況になったら、無理をしないで、すぐに避難することも大事だよ。 研修、訓練といっても、絶対無事故が鉄則…
佐賀文化会館の開館記念勤行会のあと、山本伸一は庭に出た。開館を記念して楠の記念植樹などを行うためである。 皆が真心を込めて作った、満開の造花の桜が微笑んでいた。 伸一は、外にいた人たちに声をかけながら庭を一巡し、師子の像の前で足を止めた。 「…
温厚で生真面目な性格である県長の中森富夫を中心に、佐賀県創価学会は、和気あいあいと、広宣流布の堅実な前進を続けてきた。 山本伸一は、佐賀県がさらに大飛躍を遂げていくためには、若い人材を登用し、新しい原動力としていく必要があると考えていた。 …
県長の中森富夫は、しばらく困惑した顔でいたが、意を決したように言った。 「では、山本先生をお迎えした喜びを託して、『春が来た』を歌います。 春が来た 春が来た どこに来た……」 中森は、直立不動で熱唱し始めた。 歌い方にも、生真面目さ、一途さがあ…
佐賀文化会館の懇談会で、山本伸一は、皆に言った。 「みんな、本当によく頑張ってくれたね。 さあ、また、新しい旅立ちだ。一緒に、広宣流布の歴史を創っていこうよ。 二十年後に、佐賀県創価学会が大勝利しているならば、今日、ここに集まったことが、二十…
山本伸一は、遠路、自分を訪ねて来た酒田英吉に、『信心に励むうえで、最も大切なものは何か』を語っておこうと思った。 「酒田君。信心の極意は、『師弟不二』にあるんだよ。 戸田先生は、不世出の、希有の大指導者だ。先生の一念は、広宣流布に貫かれてい…