小説「新・人間革命」 人材城 1 2012年4月10日

『人材を見つけよう! 人材を育てよう! 人材の創価城を築こう!』
山本伸一は、そう深く決意しながら、対話と励ましの指導旅を続けた。
中国・蜀漢の名宰相・諸葛孔明は、「国を治める道は、力を尽くし、優秀な人材を見出し、登用することにある」(注)との言葉を残している。
創価学会の未来もまた、一に、どれだけ多彩な、たくさんの人材が育成できるかにかかっている。
一九七七年(昭和五十二年)五月二十七日、午後一時半近くに佐賀文化会館を車で出発した山本伸一は、午後四時前、熊本文化会館に到着した。
伸一の熊本県訪問は、八年ぶり八度目である。
熊本文化会館は、四月三十日にオープンしたばかりで、外壁に茶色のタイルを施した三階建て部分と、大広間のある白い二階建て部分からなる美しい会館であった。
周囲には、穂をつけた黄金色の麦畑が広がっていた。
車を降りた伸一は、出迎えてくれたメンバーに、笑顔で言った。
「来ましたよ! 皆さんにお会いしにまいりました!」
庭に設置された石碑に、白布が掛けられているのを見た彼は、「では、すぐに除幕式を行いましょう」と、熊本県長の柳節夫に語りかけた。
初代会長・牧口常三郎の「一人立つ精神」をはじめ、歴代会長の文字を刻んだ石碑、熊文化会館の由来の碑が次々と除幕された。
「じゃあ、県の青年部長! この碑文を皆さんに読んで差し上げて!」
突然の指名であった。県青年部長の勝山平八郎は、驚き慌てた。しかし、「はい!」と言って、碑の前に進み出た。
既に、この時から、伸一の、青年への育成が始まっていたのだ。
由来を読む勝山の、大きな声が響いた。
「熊本文化会館 由来
懐かしき雄大なる阿蘇の噴煙……」