小説「新・人間革命」 薫風 60 2012年4月7日

佐賀から熊本に向かう五月二十七日も、山本伸一は、朝から激励のため、色紙などに筆を走らせた。
そして、早めに昼食をすますと、佐賀文化会館のロビーに出た。
県長の中森富夫の両親や、県指導部長になった永井福子の母親らと、会うことにしていたのである。
一人のリーダーが、自在に活動していくには、家族の協力、応援が必要である。
ゆえに伸一は、可能な限り、幹部として活躍している人たちの家族と会い、日ごろの協力に、御礼とねぎらいの言葉をかけるようにしていたのだ。
陰で支えてくださる方々への配慮、気遣いを忘れない人こそ、本当の指導者である。
伸一は、中森の両親に、礼を尽くしてあいさつした。
「息子さんは、佐賀県の歴史に残る人です。ご両親も、それを誇りにして長生きしてください。ご一家の繁栄を心より祈っております」
また、永井の母親には、こう語った。
「立派な文化会館もでき、すばらしい佐賀県創価学会になりました。娘さんの奮闘の結果です。ご家族の応援のおかげです。
お孫さん、曾孫さんの成長を見届けるため、二十一世紀まで生き抜いてください」
さらに、佐賀文化会館に集って来た二百人ほどの同志と、共に唱題し、出発間際まで、何曲もピアノを弾いて激励を重ねた。
薫風が舞い、美しい青空が広がっていた。
午後一時半前、伸一は、「お世話になりました。どこにいても、『栄えの国』である佐賀県の皆さんに題目を送ります。
お元気で!」と言って手を振り、車中の人となった。
伸一が出発して二十分ほどしたころ、佐賀文化会館の電話が鳴った。伸一に同行していた幹部の弾んだ声が、受話器から響いた。
「車中、佐賀の県境に架かる諸富橋で、先生が皆さんに句を詠まれました」
  
  五月晴れ   佐賀の天地に   功徳満つ  (この章終わり)