大白蓮華 2012年(平成24年)2月号 巻頭言

華陽の青春は朗らかなり


 勝利 咲く
  幸福のスクラム
   女子部かな
  尊き使命に
    功徳 溢れむ

「文明とは何か?」—この大きな問いに、アメリカ・ルネサンスの哲人エマソンは、きっぱりと答えた。「それは、良き女性の力なり」と。
 女性の声が朗らかに響き、女性の智慧(ちえ)が伸びやかに発揮される。そこにこそ、人類の文明の光はあるのだ。

 ああ、若き華陽(かよう)の乙女たちの乱舞(らんぶ)は、何と大いなる希望であろうか!
 今、私と妻の何より心弾(こころはず)む喜びは、日本中、世界中で、花の女子部が溌剌(はつらつ)と躍動して、平和と幸福の連帯を広げてくれていることだ。

 昨年二月に大地震に見舞われたニュージーランドでも、日本の東北と同じように、わが女子部の真剣な祈りと行動が、皆に勇気を贈っている。 学会創立の日には、首都ウェリントンの国会議事堂で、オセアニアの華陽会の総会が清々しく開催された。
 一昨年、震災に襲われた南米チリの女子部からも、友情の輪を大いに広げ、白蓮グループも鼓笛隊も倍増しましたとの便りを頂いている。

 「女子部は教学で立て」とは、永遠の指針である。正しき仏法の明鏡を心に持った女性は、いかなる濁世(じょくせ)にも惑わず、いかなる苦難にも負けない。 友と研鑽し合いながら、価値ある青春を聡明に進んでいけるのだ。
 女子部時代に学ぶ御書30篇の一つ「一生成仏抄」には「妙法と唱(とな)へ蓮華(れんげ)と読まん時は我(わ)が一念を指(さ)して妙法蓮華経と名(な)づくるぞと深く信心を発(おこ)すべきなり」(御書全集383ページ)と仰せである。
 女子部の一人一人が、最も尊貴な仏であり、妙法蓮華の当体である。ゆえに、人と比べて自分を卑下(ひげ)して、クヨクヨする必要など、全くない。

 現実は、思うようにいかないことや自信を無くすこともあるだろう。
 しかし、目と耳と口の三重苦を乗り越えて、社会貢献を貫き通した、あのヘレンケラーも綴っている。「失敗は一生の充実を勝ち誇る勝利の証拠である」と。
 いわんや、変毒為薬(へんどくいやく)の妙法に生き抜く乙女は、どんな苦しみも、必ず楽しみに転じて行くことができる。

 恩師、戸田先生は言われた。「悩みの無い人などいない。何でも祈りに変えるんだよ。祈りは、誰もが善と幸福へ向上していける究極の力だ。祈れば勝ちだよ」と。
 信心強き女子部が、一人、快活に立ち上がれば、家庭も、職場も、地域も、明るい希望の活力が広がる。

 私の妻も、あの六十年前の蒲田(かまた)支部の「二月闘争」に、支部婦人部長である母を支えながら、女子部の班長として懸命に奔走(ほんそう)した。
 友人たちとの仏法対話に生き生きと励むとともに、実家での座談会に職場の上司を案内してもいる。お母さん方と集ってきた幼子たちも笑顔で迎え、学会家族の思い出を刻んだ。

 大事なことは、勇気の一歩である。今、自分ができることから、一日一日、一つ一つ、挑戦していくことだ。
 そこに、どんな試練にも押しつぶされぬ無限の仏の力が涌(わ)き出る。その積み重ねが一生の幸福の土台となる。これが華陽の青春である。

「自他共(じたとも)に智慧(ちえ)と慈悲(じひ)と有(あ)るを喜(き)とは云うなり」(御書全集761ページ)

 この歓喜の哲学を胸に、創価の乙女たちよ、互いに励まし合い、支え合いながら、勝利の春へ「心の財」を積みゆけ!

 大舞台
  舞いに舞いゆけ
   朗らかに
  私も見つめむ
    祈り願いて