大白蓮華 2012年(平成24年)3月号 巻頭言

「わが壮年部よ! 同志の城を頼む」


 君も勝て
  我も勝ちなむ
    断固して
  この一生を
    勝利の賢者と

 壮大なシルクロードの天地に伝わってきた格言に、「下り坂の後は必ず上り坂が来るように、男はどんな状況でも活路を見出す」とある。
 これぞ我ら壮年部の心意気だ。
 いかなる苦難の道も、昂然と胸を張って乗り越え、皆に勇気を贈り、共々に勝利の喜びの都へ凱旋する。ここに広布の闘将の本懐が有る。

 日蓮大聖人は、競い起こる三障四魔と戦う池上兄弟を「石は焼けばはい(灰)となる金(こがね)は・やけば真金となる」と励まされた。

 身も心も焼き尽くされるような苦しみを経てこそ、男は本物となる。仕事の危機や大病等、厳しい試練を耐え抜いて、黄金の柱と立つのだ。

 事業が絶体絶命の窮地にあった、その時、わが師は毅然と言い放った。「さあ、来い!戸田城聖戸田城聖である。御書は、一から百まで信心で勝てと教えておられる。信心で踏ん張った分だけ、必ず偉大な勝利の夜明けが待っているのだ」

 法華経に湧現する、巨大にして荘厳な「宝塔」は、何を意味するのか。
 日蓮大聖人は、壮年門下の阿仏房の問いに答えられて、「末法に入って法華経を持つ男女の・すがたより外には宝塔なきなり」「阿仏房さながら宝塔・宝塔さながら阿仏房」と仰せである。

 広宣流布に生き抜く父母たちの生命こそが、尊極の「宝塔」なのだ。
 この宝塔は、生老病死の諸々の苦悩をも、妙法の力で「常楽我浄」の香風へと転じながら、人々を励まし、導いていく存在である。まさに、わが多宝会・宝寿会・錦宝会の皆様方の振舞いそのものではないか。

3.11東日本大震災から1年

 仏勅の
  我が学会の
   君もまた
  尊き柱と
   その名は三世に

 東北に、私と同じ年代の忘れ得ぬ多宝会の戦友がいる。かつて支部長時代には、倒産から雄々しく再起した。第一次宗門事件の嵐の中でも、丑寅勤行を続けながら、勇敢に指揮を執ってくれる彼に、私は贈った。

辛くとも 君よ頼む 同志城

 宝の学会を魔軍に踏み荒らされてなるものかと戦い抜いてくれた。
 ――あの東日本大震災より一年。彼は今も厳然と皆を激励し、同志の城を守りに護ってくれている。

 先日も、嬉しい近況を伺った。「お陰さまで今が一番元気です。毎日が、戦える幸福感と感謝と感動で一杯です!」わが壮年部が意気軒昂であれば、婦人部が喜んでくださる。青年部も快活に続く。未来部も強く元気に育つ。地域も社会も刮目する。「黄金柱」とは、一切を黄金に変えゆく柱だ。

 御義口伝には「法華経の題目は獅子の吼ゆるが如く」と仰せである。大変であるほど、題目だ。この無敵の獅子吼で雄渾なる大生命力を発揮し、断じて勝ち抜くのだ。

 アメリカの仏教研究家ストランド氏も、人生に積極的・現実的に立ち向かう学会員の力の源は「題目を唱える時のダイナミックな『声』と勢いにある」と洞察されている。

 今、各地で頼もしい「勇士」の陣列が拡大し、ヤング壮年部が奮起している。法城を厳護してくださる王城会、さらに太陽会、敢闘会等の奮闘も、何とありがたいことか。

 私も一生涯、戦う壮年部である。師の叫びを不二の盟友に贈りたい。
広宣流布のために、"男の生きざまとはこうだ!"というものを、この世に残そうじゃないか!」