小説「新・人間革命」 薫風 54 2012年 3月31日

徳永明は、二十六日、佐賀文化会館の開館記念勤行会終了後に行われる、記念植樹の役員に就いた。
彼は、文化会館の庭にある楠の前で、植樹用のシャベルを手に立っていた。
そこに山本伸一が姿を現した。
「どうもご苦労様! さあ、植樹をしよう」
徳永は、『生と奥様のおかげで、私たちは、人生の試練を乗り越えることができました!』語りかけたい気持ちを必死で抑えながら、伸一にシャベルを差し出した。
文化会館の玄関の前には、勤行会に参加した、徳永の妻の竹代と、小学校一年の長女、五歳の長男が立ち、楠の方を見ていた。
伸一がシャベルを持って、木に土をかけようとした時、徳永の長男が、ちょこちょこと、伸一に歩み寄って行った。そして、下から覗き込むようにして言った。
「せんせー、何ばしよっとね?」
徳永は、慌てて長男を抱き寄せた。全身から冷や汗が噴き出るのを感じた。
植樹を終えた伸一は、長男にニッコリと笑いかけた。徳永は、「すみません、すみません」と繰り返しながら、長男を玄関の前にいる妻のところに連れていった。
伸一も、玄関に向かった。期せずして徳永一家が、彼を迎えるかたちになってしまった。
伸一を案内していた県長の中森富夫が、「師子の像を寄贈してくださった徳永さんです」と徳永一家を紹介した。
「知っています。奥さんも元気になってよかった。勝ったね。あなたたちは勝ったんだよ」
徳永は、伸一に、子どもの非礼のお詫びと、自分たち夫婦への激励の御礼を言おうと思ったが、胸に熱いものが込み上げ、声にならなかった。
妻の竹代も、「ありがとうございました」とだけ言うのが精いっぱいで、言葉は、涙に変わってしまった。
伸一は、子どもたちの手を握り、微笑みながら夫妻に語った。
「苦労が、全部、生きてくるのが信心なんです。苦しみ抜いた分だけ、幸せになれる。信心ある限り、希望の火は消えません」