小説「新・人間革命」 薫風 50 2012年 3月27日

佐賀文化会館の開館記念勤行会のあと、山本伸一は庭に出た。開館を記念して楠の記念植樹などを行うためである。
皆が真心を込めて作った、満開の造花の桜が微笑んでいた。
伸一は、外にいた人たちに声をかけながら庭を一巡し、師子の像の前で足を止めた。
「本当にすばらしい像だね。佐賀県の青年の心意気が感じられるね」
横一メートル八十センチ、高さ九十センチほどの、咆哮する百獣の王・師子のブロンズ像である。
前日、ロビーに置かれていたのを伸一が見て、広々とした庭に出してはどうかと伝えたのだ。
伸一は、楠の植樹に向かった。
楠の前には、精悍な顔立ちの、役員の青年が立っていた。
徳永明である。彼は師子の像の寄贈者で、佐賀市内で精肉店を営む男子部員であった。
──前年の夏、徳永は、九州の輸送班(現在の創価班)の総会と野外研修に参加するため、鹿児島県の九州総合研修所にいた。
研修の一環として、研修所内につくったテントで、全員が宿泊することになっていた。
ところが、その日の午後、激しい雨に見舞われたのである。
研修棟などに避難できる態勢がつくられていたが、佐賀県の輸送班は、テントで頑張り続けた。
「自分たちが豪雨にさらされても、会員の方々を守るのが輸送班だ。その精神を学び、訓練を受けるための研修なんだから、ぼくらは、最後までテントにいようじゃないか」
彼らは、ずぶ濡れになり、学会歌を歌いながら、テントにとどまっていたのである。
この夜、伸一はテント村を回った。既に雨はあがっていたが、メンバーはどうしているか、心配でならなかったのである。
皆の安全のために、自ら行動し、常に心を砕いていくのが指導者である。その実践があってこそ、人びとは信頼を寄せるのだ。
伸一は、男子部の幹部から、雨のなか、テントで頑張り通した輸送班がいることを聞くと、どこの県のメンバーかを尋ねた。