小説「新・人間革命」 薫風48 2012年 3月24日

県長の中森富夫は、しばらく困惑した顔でいたが、意を決したように言った。
「では、山本先生をお迎えした喜びを託して、『春が来た』を歌います。
 
春が来た 春が来た どこに来た……」
 
中森は、直立不動で熱唱し始めた。
歌い方にも、生真面目さ、一途さがあふれていた。彼が、一節、一節、歌い進むにつれて、自然に皆が唱和し始め、全員の喜びの大合唱になっていた。
  
花がさく 花がさく どこにさく山にさく 里にさく 野にもさく
  
伸一は、身を乗り出して拍手を送った。
「県長の歌に合わせて、自然にみんなが合唱する──佐賀県の団結の姿を見た思いがしました。
佐賀は、常に、このように、仲良く心を合わせて、前進していってください」
次いで、九州担当の副会長から、本部人事委員会等で検討され、決定をみた佐賀県の人事が発表された。
これまで県の婦人部長を務めてきた永井福子が県指導部長になり、酒田一枝が、県婦人部長に就いた。
三十代半ばの新しい婦人リーダーの誕生であった。
酒田一枝は、酒田英吉の妻であり、佐賀県創価学会の草創期から、養父の信心への理解が得られないなか、女子部員として健気に活動に励んできた。
彼女には、心の支えとしてきた『宝』があった。
一九六一年(昭和三十六年)の六月、会員二百万世帯達成を記念して、伸一から贈られた色紙である。
そこには、戸田城聖が詠んだ、「妙法の 大和なでしこ 光あり あずまの国に 幸ぞあたえん」との歌とともに、彼女の名前が、毛筆で記されていた。
彼女は、この色紙を抱きかかえる思いで、佐賀県広宣流布のために駆け回ってきた。
伸一の励ましによって、一人ひとりの心が彼と結ばれ、創価学会という連帯の絆が創り出されていったのである。
さらに、その励ましこそが、皆の勇気の源泉となってきたのだ。