青年から『共育』の新時代を ㊤(2012.2.1/2/3付 聖教新聞掲載)
我らは永遠に「人間教育」が起点
厳しい寒さが続いております。各地で大雪の被害が甚大になり、雪の事故も起きていると伺っています。心よりお見舞い申し上げます。
また、こうした中、子どもたちの無事安全を、わが子以上に心配してくださっている教育本部の皆様方のご苦労が思われてなりません。
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「『人間性を形成する』──これこそはわれわれの世紀の誉れだ」
ドイツの大文豪ゲーテが若き日に師と仰いだ、文学界の指導者ヘルダーの叫びです。
教育は、人から人へ、人間性の真髄を生命深く育み、伝えゆく聖業です。
教育は、たゆまずに人間を創り、文化を創り、平和を創る力です。
教育は、人生の黄金の柱、社会の黄金の柱、未来の黄金の柱です。
学会は「創価教育学会」として、この教育から出発しました。いな、私たちは永遠に「人間教育」を起点とします。
初代・牧口常三郎先生も、教育者でした。
第2代・戸田城聖先生も、教育者でした。
そして、第3代の私も、教育こそ人生の総仕上げの事業と定めてきました。
この3代にわたる大情熱を直接に受け継いで、最前線の現場で献身してくださっているのが、敬愛する教育本部の皆様方なのです。
日夜、子どもたちのため、どれほど真剣に祈り、悩み、努力を重ねておられることか。人間教育の不二の盟友である皆様方のことは、私の胸奥から離れたことはありません。
とりわけ、教育の危機が憂慮される現代にあって、幾多の難問に直面しながら、懸命に力闘されている、誉れの青年教育者の友に、私は少しでもエールを送りたいと常に思ってきました。
これまでも折々に、教育への提言を発表してきました。今回は、青年教育者の方々と、わが創価大学のキャンパスで語り合うような思いで、教育に関する所感を綴らせていただきます。
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「無上宝珠」──『創価教育学体系』では、子どもたちの生命が、この最大の尊称で呼ばれております。
子どもたちの生命こそが、何ものにもかえ難い尊極の宝である。その生命に関わるがゆえに、教育こそが「人生の最高にして至難の技術であり、芸術である」と、厳粛に宣言されているのであります。
牧口先生と若き戸田先生との師弟の結実である『創価教育学体系』が発刊されたのは、1930年(昭和5年)の11月18日です。
そうした渦中に、「1千万の児童や生徒が修羅の巷に喘いでいる現代の悩みを、次代に持ち越させたくない」との断固たる決心をもって出版されたのであります。
マハトマ・ガンジーの信念
内なる灯火が輝くときそれは全世界を照らす
平和を実現するなら子どもから
──宝の中の宝である子どもたちの生命を、絶対に守り抜くのだ。子どもたちを、断じて不幸にしてなるものか。子どもたちの幸福こそを第一義とするのだ──。
まさしく、乱世の真っ只中で、この師子吼をもって、創価教育は誕生したのであります。
昨年3月の東日本大震災によって、あまりにも多くの尊き命が奪われました。御家族の悲しみは、いかばかりか。私は、毎日、懇ろに追善回向の題目を送らせていただいております。
言語に絶する悲劇の中から、後世への教訓を留めることが、失われたかけがえのない命に報いることになるならば、「釜石の奇跡」と呼ばれる事例は、その一つでありましょう。教育界にも大切な大切な教訓を残してくれました。
この耐え難い被害に遭いながら、市内の小・中学校のほとんどの児童・生徒が、津波から逃れることができたのです。
これは、学校にいた児童・生徒はもちろん、下校していた子どもたちも、多くが自分自身で判断して高台に避難したことによるものです。ここ数年、繰り返し行われてきた「防災教育」の賜でした。
自らの力で自分たちの大切な命を守り、何があっても互いに信じ、助け合いながら生き抜いていく──この「人間への信頼」「自立の心」を育むところに、人間教育の根幹があるといえましょう。
教育とは、大人が考える以上に子どもたちの心を錬磨していくものであると、「釜石の奇跡」は、あらためて気づかせてくれました。
さらに今、復興へ刻苦奮闘されている被災地の方々の励みとなっているのもまた、健気な子どもたちの明るい姿であると伺っております。
もとより、大震災が子どもたちにもたらした衝撃は、言い尽くせないでしょう。
しかし、それでもなお、子どもたちは太陽の心を輝かせて、家庭に地域に、希望を贈ってくれています。
「被災地の学校に、再び子どもたちの笑顔が戻り、楽しく賑やかな快活な声が響いている。その平凡な日常が、実は何よりも尊く、何よりも素晴らしいことであると、心新たに感動しました」
こう東北の教育者の方が、語っておられました。
子どもたちを慈しんでやまなかったインドの非暴力の英雄マハトマ・ガンジーは、明言しております。
「もし私たちが、本当に世界の平和を実現したいと願うなら、それは子どもたちから始めなければならない」
「内なる灯火《ともしび》が輝くとき、それは全世界を照らす」というのです。
子どもたちの幸福の「内なる灯火」を一人一人、今日も明日も、ともしながら、世界の平和へ、希望の光を広げていく炎こそ、教育本部の皆様方の熱情でありましょう。
教育は「子どもの幸福」のために
民衆詩人ホイットマンの教育者観
・初めは一歩一歩の導きを
・自立できるよう励ましを
・知を愛することを教えよ
わが教育本部は、今、人間教育者モットーを掲げ、力強く前進しています。
一、「子どもの幸福」第一の教育者たれ!
一、人間革命の道を勝ち開く教育者たれ!
一、生命の輝きで実証示す教育者たれ!
牧口先生・戸田先生が体現された創価教育の精神は、ここに脈々と躍動しています。
第1項目の「幸福」とは、人から与えられるものではありません。
地位や財産を手にしても、それで幸福とは限らない。また、今、幸福のようであっても、それがいつまで続くかわからないのが現実です。真の幸福は、どのような境遇にあったとしても、「今から」「ここから」、自分で創り出していくものです。
牧口先生は「子どもの幸福」を「価値創造の能力を涵養するにあり」と示されました。つまり、子ども自身に「如何なる方面にでも活路を開拓して進行することの出来る能力を持たせんとする」ことです。
自身の関わる子どもたち一人一人から、日々、この「幸福を創る力」すなわち「価値創造の力」を引き出していく教育の営みは、何と誇り高さ挑戦でありましょうか。
それはモットーの第2項目にあるように、教育者自身の「人間革命の道」でもあります。そして、第3項目にある通り、わが「生命の輝き」を生き生きと放ちながら、子どもたちと共に学び、共々に成長し続けていくことでありましょう。
牧口先生は述べられました。
「教授の目的は興味にあり。智識そのものを授けるよりは、これより生ずる愉快と奮励にあり」
はじけるような学ぶ喜び、わくわくするような探求の楽しさを、子どもたちと分かち合う。そして新しい世界を広げながら、知恵と創造性を育んでいく学習の在り方が促されております。
多くの大人が、残念ながら、いつしか学ぶことをやめ、成長を止めてしまう中で、学びの場、成長の場に身を置いて、自らを向上させていけることは、教育者の特権であるといっても過言ではありません。
「初めは、良き導き手となって一歩一歩を先導し、ただ書籍から教えようとするのではなく、自分で考え行動できるように、その心の働きを磨き鼓舞してあげることである。そして“知を愛すること”を教え込むことだ」
ホイットマンは、教師としての経験もありました。たしかに、優れた授業は、一編の詩のように、若き心を鼓舞してやまない芸術そのものです。
とはいえ、現実は厳しいでしょう。特に、いまだ経験の浅い青年教育者の皆さんには、失敗や試行錯誤もあるに違いない。
しかし、偉大な教育者であられた牧口先生も、若き日には授業で悪戦苦闘する、皆さんと同じ青年教育者の一人であったことを、思い起こしていただきたいのであります。
牧口先生は、当時の心境を、率直に回想されています。
「生れて始めて教壇に上ったのであるから、その狼狽振りは思いやられる。それでもまあ子供等が云うことを聞いたものだ、と今でも冷や汗がでる」と。
この折、牧口青年が一番、苦労したのが、綴り方(作文)の授業です。十分な知識や経験もなく、教科書もない中で、知恵を絞りながら、懸命に教案の作成に取り組みました。
実は、この時、牧口先生が必死に考案した綴り方の指導方法は、子どもたちが自らの力で作文が書けるよう、段階的な誘導を目指した、きわめて優れたものだったのです。
のちに牧口先生は、この指導教案こそ、『創価教育学体系』の全編を貫く思想の中核になったと位置づけられています。
自ら「戦々恐々たる暗中模索の新米教師の初陣」と述べた、若き日の渾身の挑戦が、やがて創価教育学の土台となり、源泉となったのです。
「創価教育の父」が、青年教育者の皆さんに、「今の苦労は必ず未来に花開くよ」と、限りない励ましを危ってくれていることを忘れないでください。
いかなる道であれ、最初から名人、達人と言われる人などおりません。皆さんは若いのです。失敗を恐れず、明るく、たくましく、前へ前へ進んでいけばよいのです。
法華経を実践する根本の魂は、「勇猛精進」です。