青年から『共育』の新時代を  ㊦ (2012.2.1/2/3付 聖教新聞掲載)

努力し抜く命に人の努力は映る
 社会事業の中で子どもの教育に携わった、アメリカの人権の母エレノア・ルーズベルトも語っています。
 「人生に勇敢に真正面から取り組む人は、経験とともに成長するものです。人格は、このようにして築かれていくのです」と。
 教育者自身が常に前向きに創意工夫を続けている息吹は、そのまま子どもや生徒たちの心を勇気づけ、無言のうちに励ましとなるものです。
 自分が努力し苦労している命には、人の努力や苦労も、鏡の如く映し出されます。わが生命の鏡を研ぎ澄まして、子どもたちの頑張りを見逃さず、ほめてあげられる教育者でありたいものです。
 子どもたちは、一生懸命に努力したことをほめられたり、喜ばれたりすることが、何よりも嬉しいものです。その時、子どもは幸福を実感するともいえましょう。
 被災地の子どもたちも、自分たちの笑顔によって、皆が元気を取り戻す姿を見ることが嬉しい。だからこそ、つらくとも笑顔を見せてくれる。何と、いじらしいことでしょうか。
 御書にも「ほめること」が持つ力について、「金はやけば弥《いよいよ》色まさり剣《つるぎ》はとげば弥利《と》くなる」(1241ページ)と譬えられています。
 子どもたちの生命に具わる、黄金のような善性も、宝剣のような才能も、大いにほめて伸ばしていきたい。
 その子ならではの「よい点」や「頑張っていること」を見つけ出して、時に応じて真心こめて讃えていただきたいのです。
 
共に学び共々に成長を
 
アメリカの教育者デューイ
一人の人間、一つのグループのなし遂げたことが次の土台に
 
 私は、牧口先生・戸田先生が敬愛してやまなかったアメリカの教育哲学者ジョン・デューイ博士をめぐって、デューイ協会の会長を務められた2人の碩学、ラリー・ヒックマン博士とジム・ガリソン博士と有意義な語らいを重ねてきました。
 デューイ博士の教育哲学の中心は、「成長」であります。
 お二人との鼎談では、その「成長」とは、人と人との関係を通し、社会の中で磨き深められていくものであり、個人の成長は自ずと他者の成長、社会の成長にも寄与するものであることを語り合いました。
 一人の「個人の成長」が「他者の成長」を促し、周囲や社会の成長をも促していく──まさに、偉大なる「人間革命」の原理です。
 ゆえに、教師自身が成長すれば、子どもたちも必ず成長します。また、教師自身が成長するためには、子どもたちの成長に学ぶことです。
 教育は「共育」──教師も生徒も共に育って、成長していくことなのです。
 自身も大教育者として、多くの青年を育ててこられたガリソン博士は、こう語られていました。
 「教師は、生徒たち一人一人を観察し、実験を試み、省察して、彼らのことを学びながら、あくまでも思いやりのある、深い共感を最も大切にしなければなりません。
 よき教師は、生徒たちと一緒に学ぶことを、また生徒たちについて学ぶことを、大いに楽しむものです」
 「子どもたちから学ぼう」「一緒に成長しよう」とすることは、一人一人の人格を最大に尊重することになる。その心は、必ず伝わります。
 「子どもを尊重せよ」「子どもの考え方にたいして、その仲間であり、子どものもつ友情にたいして、友であれ」
 これは、アメリカ・ルネサンスの哲人エマソンの呼びかけでした。
 一人の人間として、大切な友として、子どもたちに接する時、その子が自分でも気づいていない長所まで如実に見えてきます。
 教師の信頼と期待にあふれた一言一言こそ、子どもたちを大きな自信と安心感で包み、その可能性を伸びやかに開花させていく力となるでしょう。
 いわんや皆さんは、自他共の生命を最高に光り輝かせていける大哲学を持っています。
 女子部が学ぶ御書30編の一つ「一生成仏抄」に、こう仰せであります。1月度の座談会でも研鑽した一節です。
 「只今も一念無明の迷心は磨かざる鏡なり是を磨かば必ず法性真如の明鏡と成るべし、深く信心を発《おこ》して日夜朝暮に又懈《おこた》らず磨くべし何様にしてか磨くべき只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを是をみがくとは云うなり」(御書384ページ)
 日々、妙法を朗々と唱えゆくことは、わが生命を明鏡の如く磨き上げていく力です。毎日、太陽が新鮮な陽光を放ちゆくように、信仰は、どんなに厳しい試練の時にも、決して負けない「生命の輝き」を発していく究極の光源なのであります。
 とともに、心がけていきたいことは、身近な存在である経験豊富な先輩をはじめ、良き教育者から学ぶことでしょう。
 若さ日の牧口先生が、綴り方の授業に挑戦した際、当時の北海道尋常師範学校附属小学校の主事(現在の校長職)であった岩谷英太郎先生が、高く評価してくれました。牧口先生の教案は、子どもが作文の出来ない原因を巧みに見抜いている。これは、他のあらゆる学科にも通じるとほめてくれたのです。
 それが、大きな励みになったことを、牧口先生は終生深く感謝されていました。
 かのデューイ博士も、シカゴ大学の実験学校(付属小学校)などで、現場の先生たちと苦楽を分かち合い、共に学び合った。その中で、大きな啓発を受け、自らの教育哲学を鍛え、発展させていったのです。だから深かった。
 昨今、教育現場は多忙を極め、職場の上司や同僚に相談したくても、互いに時間に追われて相談できず、孤立してしまう場合も少なくないと伺っています。その意味で、教育本部の先輩・同志は、何ものにも勝る、ありがたい存在です。
 長年、教育本部の皆様が積み重ねてこられた教育実践記録は5万事例を突破しました。さらに月刊誌「灯台」に連載されている実践記録集「『教育の世紀』の若き太陽」も教育界から注目されています。その一つ一つに、教育現場の生きた知恵が光り、困難を勝ち越えた尊いドラマが結晶しています。
 こうした先輩方の実証は、青年教育者の皆さんにとって得難い手本であり、励ましです。ぜひとも学んでいただきたい。また信頼できる「教育名誉会」(退職教育者の集い)の大先輩もおられます。遠慮なく相談していただきたいのであります。
 
何があっても強く朗らかに
 大事なことは、一人で悩みを抱えないことです。先輩たちも、皆、悩んだのです。皆さんは、一人ではありません。孤独になって、悩みに押し潰されてはならない。乗り越えられない壁など、絶対にないのです。
 何があっても、頭《こうべ》を上げ、胸を張って、強く朗らかに生きることです。自分のために! そして、愛する子どもたちのために!
 私は、宮城県の被災地で奮闘する一人の女性教育者の話を伺いました。彼女が勤務する中学校は、津波で甚大な被害を受け、大切な教え子も犠牲になりました。
 いったい、どうすればいいのか──悲嘆に暮れ、呆然とする彼女を支えてくれたのは、母校の創価大学・関西創価高校の旧友たちの励ましでした。日本中、さらに世界からも真心のエールが連日、届きました。
 懐かしい友の声に触れ、自身の胸のうちを聞いてもらうと心が落ち着き、勇気がわいてくるのを感じたそうです。「子どもたちのために、自分がまず立ち上がろう!」と。
 今、その彼女に続き、生徒たちもまた深い悲しみから立ち上がって、成長しているといいます。
 デューイ博士は語っています。
 「一人の人間が、或は、一群の人々がなし遂げたことが、それに続く人々にとっての、足場となり、出発点となる」
 わが教育本部の方々が、地道にして誠実な努力によって開いてこられた前進の歩みは、現代の暗き世相に大いなる希望を贈り、未来を開く不滅の足跡となるに違いありません。
 若き皆さん方は、この麗しき人間教育の連帯の輪を、さらに大きく広げながら、スクラムを組んで勇気凛々と進んでいっていただきたい。
 デューイ博士の名著『民主主義と教育』では、次のような視点が示されています。
 「社会的観点から見れば、依存性は弱さよりむしろ力を意味するのであり、それは相互依存を伴うのである」
 相互の関係性の中で人間の成長をとらえていたデューイ博士は、個人が自立して人から頼りにされることを重視していました。さらに、人を頼りにすることも「弱さ」ではない。むしろ独善を排して連帯を強める「力」であると考えたのです。
 支え合い、励まし合って生きるのが、人間です。そこに人間性の源泉もあります。
 御書には「されば仏になるみちは善知識にはすぎず、わが智慧なににかせん、ただあつ(温)きつめ(寒)たきばかりの智慧だにも候ならば善知識たいせち(大切)なり」(1468ページ)と説かれております。
 また、「麻の中のよもぎ(蓬)・つつ(筒)の中のくちなは(蛇)・よ(善)き人にむつ(睦)ぶもの・なにとなけれども心も・ふるまひ(振舞)も・言《ことば》も・なを(直)しくなるなり」(1591㌻)と仰せです。
 この世の希望であり、未来の宝である子どもたちのために悩む──何と尊く誇り高い悩みでありましょう。それ自体が、地涌の菩薩の悩みであります。「煩悩即菩提」の法理に照らし、悩みは智慧に変わります。子どもたちや、その家庭の幸福と安穏を祈ることは、仏の祈りであります。
 ゆえに、青年教育者の皆さんに、きょうも、希望あれ! 勇気あれ! 連帯あれ! 成長あれ! そして、皆さんこそ混迷の時代を照らす「教育の世紀の太陽」であれ! と願ってやまないのです。
 
 エマソンの言葉は『人間教育論』市村尚久訳(明治図書出版)。デューイは『誰れでもの信仰』岸本英夫訳(春秋社)、『民主主義と教育』松野安男訳(岩波文庫)。