教師こそ最大の教育環境なり  ㊤ 2012.3.2/3

教育は子どもを信じ抜く戦い
 
青年教育者の誓願の祈り
全生徒から信頼される先生に
全教職員から信頼される先生に
全保護者から信頼される先生に
 
 「教師こそ最大の教育環境なり」──これは、私が教育本部の皆さん方と深く共有する信念です。
 まもなく卒業の季節を迎えます。若き命は、学校から巣立っても、お世話になった先生のことは、いつまでも忘れないものです。皆さんの中にも、そうした先生との出会いが教育者を志すきっかけとなった方がいるでしょう。
 私も、この年代になってなお、小学校で担任してくださった先生方のことを、尽きることのない感謝を込めて思い起こします。手島先生、日置先生、竹内先生……先生方が着ていた服の色合いまで、鮮やかに記憶に蘇ります。
 小学5、6年生の担任であった檜山浩平先生は、当時、25、6歳。今の皆さん方と同じく、情熱に溢れた青年教育者でした。
 ある日の授業中でした。私のすぐ後ろに座っていた同級生が突然、具合が悪くなって嘔吐してしまいました。皆、びっくりして、教室中が大騒ぎになりかけました。その時、先生は、すばやくその子のもとへ駆け寄り、介抱しながら、凛とした声で呼びかけました。
 「みんな静かに! 大丈夫だよ」
 その声に安心して、クラスは落ち着きを取り戻しました。さらに先生は、ぞうきんを使って手際よく掃除してくださったのです。
 先生は、とっさの出来事にも少しも慌てず毅然と、しかも、こまやかに、行動してくださいました。
 「先生はすごいな!」
 私の心に、深い感嘆とともに、リーダーの一つの手本が生き生きと刻みつけられました。
 現在、私は、中国教育学会の会長を務められる大教育者・顧明遠先生と対談を進め、中国と日本の教育の課題、また人間教育の理念と実践などを巡り、意見を交換しています。
 両国の教育交流に早くから尽力されてきた顧先生は、福島県にも度々訪問されており、東日本大震災にも心からのお見舞いを寄せてくださいました。
 「福島県の美しい風景、文化教育を今も印象深く覚えております」と振り返られ、参観された模範的な環境教育への感銘も語っておられました。
 私と同年代の顧先生は、戦争で苦しんだ少年時代に、厳として守り育んでくれた先生方への感謝を語られながら、「教育の大計は教師が根本です」と力説されておりました。
 教師の役割について、「子どもたちを愛し、正しい教育方法を常に探求し、知識と人格の両方を育てること」と指摘されるとともに、「教師の生徒への愛は、親子の血縁を超えて、民族への愛であり、人類の未来への愛の表現なのです」とも強調されています。
 顧先生が大震災の被災を案じておられた福島でも、教育本部の方々が、まさに、わが子にも勝る愛情をもって、子どもたちを厳然と守り、育まれています。昨年秋の「東北人間教育フォーラム」で、代表の方が行った素晴らしい実践報告の内容にも、私は感動に胸を熱くしました。
 東北をはじめ全国、全世界で、わが創価の若き人間教育のリーダーたちは、児童・生徒への慈愛を真剣な祈りに込めて、日々努力を重ねています。
 祈りから朝をスタートし、満々たる生命力を湛えて、使命の最前線に颯爽と躍り出る。ここに「仏法即社会」「信心即生活」という日々の充実と勝利を開く根本があります。
     
 ある年の春、大学を卒業して教育者としてスタートする学生部の友に、私は、朝の勤行の時に3つの具体的な祈りを心がけるよう、アドバイスをしたことがあります。
 第1に「全生徒から信頼される先生にさせてください」
 第2に「全教職員から信頼される先生にさせてください」
 第3に「全保護者から信頼される先生にさせてください」
 ──以上の3点です。
 心は自在です。祈りも自在です。
 たとえ新任の教員であっても、祈りを通して、「生徒」「教職員」「保護者」という3つの次元から、学校全体のことを、わが一念に納めながら、力強く新風を起こしてもらいたい──そうした願いを託した指針です。
 今回は、この3点を敷衍しながら、今春から教壇に立つフレッシュマンをはじめ、青年教育者の皆さんの何らかの参考になればとの思いで、所感をつづらせていただきます。
 第1は「全生徒(全児童)からの信頼」です。
 子どもからの信頼を勝ち取るには、まず、自分が子どもを信頼することです。すなわち、一個の人格として尊敬し、その可能性を信じ抜くことです。どんな子どもに対しても、公平にこの姿勢を貫いていく時、「一人」の心と、信頼の絆が結ばれる。それが「全生徒からの信頼」に広がります。
 
どの子も公平に人間として尊重
 私が共に対談集(『明日をつくる教育の聖業潮出版社刊)を刊行したデンマークの著名な教育者・ヘニングセン博士が、教師として心掛けるべきことの第一に挙げておられたことがあります。それは、「才能、能力、考え方に関係なく、あらゆる学生を人間として尊重しなければならない」という点です。
 現代社会は、効率が優先される社会です。いわゆる優勝劣敗の原理が働き、さまざまな格差が増幅されてしまう面があります。
 学校も、そうした現実社会の冷たい風波から免れることはできないかもしれません。
 しかし、教育者の慈愛が脈打つ教育現場には、一切を超克して、凍えた子どもたちの心を抱きかかえて、温める人間の情熱があります。
 それこそが「信頼」の力ではないでしょうか。
 創価教育の父・牧口常三郎先生は、若き日、辺地で貧困に苦しみ、恵まれない境遇の子らの教育に体当たりで取り組みました。
 当時、最も光の届かない家庭の子どもたちでした。
 だからこそ、若き熱血の教員・牧口青年は叫んだのであります。
 「等しく生徒なり、教育の眼《まなこ》より視て何の異なる所かある」
 「彼等の唯一の庇蔭《ひいん》(庇ってくれる存在)は教師あるのみ」
 世間の眼差しがどんなに冷酷であろうとも、「教育者の眼」は子どもの尊厳と可能性を信じ抜いていくのです。
 社会の烈風がどんなに荒れ狂おうとも、「教育者の慈愛」は子どもを断固として守り、未来への道を開き切っていくのです。
 自分のことを見捨てず、信じ抜いてくれる先生がいる──そう思えることが、子どもたちにとって、どれほど生きる勇気となり、伸びゆく力となるか、計り知れません。
 学校には、勉強の成績という大きな物差しがあります。もちろん学びの場である以上、大事な基準であることは間違いありません。
 ただし、未来への無限の創造力を秘めた若き生命の全体に光を当てるならば、それは、あくまでも現時点での一つの物差しに過ぎない。
 創価学園に1期生が入学した年の師走、私は成績が伸び悩んで、進級が危ぶまれる高校生たちと面談し、励ましを贈ったことがあります。
 当初、生徒たちは、叱られるのではないかと緊張してやってきました。私は、その心をほぐしながら、体調や通学時間のこと、家の状況など、具体的に尋ねていきました。何か勉強の妨げになっている問題があれば、できる限りの応援をしたかったからです。その中で、本人たちが自分から「勉強、頑張ります!」と決意を語ってくれました。
 私は、「成績が悪かったからといって、卑屈になってはいけない。今度こそ、今度こそと、挑戦していくんだよ」「得意科目をつくろう」「1ミリでも、2ミリでもいい。決してあきらめずに努力して、前進していくことが大事だよ」と勇気づけました。
 一人一人が、それを一つの転機として発奮してくれました。猛勉強を重ねて、やがて堂々たる大学教授となった友もいます。
 しかも、何より嬉しいことは、わが学園生たちが、そうした社会的な肩書に傲るのではなく、悩み苦しむ庶民の人間群に飛び込んで、世のため、人のために、泥まみれになって戦い続けてくれていることです。
 私は、学園生や創大生、また学園・創大を受験してくれたメンバーをはじめ、若き友を一人また一人と見守り、その成長と勝利を祈り抜いてきました。ゆえに、大確信をもって言い切れることがあります。
 それは、「どの子も必ず伸びる」「人間はみな成長できる」「生命はもっともっと光り輝かせることができる」ということです。そして、ここにこそ人間教育の希望があり、ロマンがあると、私は信じています