[第3回] 人間を結べ! つながりは力  ㊥ 2012.3.27/28/29

「人のため」に今、何ができるか
 
青年の連帯が時代を変え、新しい価値を創造する
 
 ──池田先生は、ハーバード大学の著名な宗教学者ハービー・コックス博士と、仏法とキリスト教を結ぶ対話を重ねられ、『21世紀の平和と宗教を語る』を刊行されています。
 博士は「宗教(レリジョン)とは、本来、『再び結び付けること』を意味します。人と人との絆を、もう一度、取り戻すこと。そこにこそ、現代における宗教の果たすべき役割もあると思います」と述べ、創価の運動に期待を寄せられています。
 
名誉会長 真の知性の方との忘れ得ぬ対話です。
 仏教は、社会の大きな転換期に、その歩みを開始しました。
 釈尊の時代は、いくつもの大国が林立し、それまでの地縁・血縁の濃い社会から、いわば、つながりの薄い、多種多様な人々が集まる社会が拡大していました。
 そこで、釈尊は「一切の生きとし生けるものどもに対しても、無量の(慈しみの)こころを起すべし。また全世界に対して無量の慈しみの意《こころ》を起すべし」と説いています。それは、一次元からいえば、慈愛と信頼で結ばれた社会をつくろうという呼びかけだったともいえるでしょう。
 新たな「人のつながり」が求められた時代──世界は文明の伝播とともに、こうした歴史の潮流に入っていきます。その要請に応え得る仏教は、世界へと広まっていく力を備えていたといえます。
 わが師・戸田城聖先生は、そうした仏教の世界性を踏まえつつ、私たち青年に「地球民族主義」の理念を提唱してくださいました。
 先生は、未来を託す少年少女の会合でも、こう語られています。
 「将来、誰もが幸せを噛みしめることができて、国境や民族の壁のない地球民族主義の平和な世界を築かねばならない」
 エゴイズムといった、生命に巣食う魔の働きは、人と人の間に「壁」をつくり、分断します。これに対し、生命尊厳、人間尊敬の内なる仏の働きは、分断の「壁」を取り払い、人と人を結びます。
 戸田先生は、冷戦という東西の巨大な障壁が立ちはだかる中で、青年が、まず身近なところから、人間を隔てる「壁」を破る対話に打って出ることを教えてくださったのです。
 現代の世界は、地球環境の問題をはじめ紛争、貧困、格差など、一人では当然のこと、一国でも解決できないし、国と国の政治・経済の次元だけでも解決できない問題が山積みです。今こそ、いかなる壁も破りゆく、民衆に根を張った「つながりの力」が必要です。これが世界を変える希望です。
 わが192力国・地域のSGIの平和の連帯、とりわけ次代を担う青年部の皆さんの「つなぐ力」に皆が感嘆しています。人類が、青年と青年の「連帯の力」を待望しているのです。そこから、時代を変革しゆく、新しい価値創造が始まるからです。
       
 ──東北学生部が昨年夏、東北6県の学生を対象に行った震災意識調査の結果が反響を呼びました。それによると、「何のために働くのか」との問いに、震災前は「お金を得るため」「生活の安定のため」などと考えていた人が43%を超えていました。震災後では「人のため」「社会貢献のため」という答えの方が多くなり、約22%から35%超へと格段に増えています。
 
名誉会長 自分のことだけではなく、人のために、何か社会のためになるように働きたい──人や社会との「つながり」を大切にしていこうと、多くの青年が考えるようになったといえるでしょう。私は、新たな青年文化の台頭を予感します。
 それだけに、これまでにもまして、人間主義の仏法が求められる時代が到来していると思う。
 なぜ、東北の同志は、自分が大変なのに、人のために尽くせるのか──それは、日頃から「法のため」「人のため」「社会のため」という、立正安国の精神を心に刻み、実践してきたからです。
 「何のために生きるのか」──その問いに明確に答えて、「人間の絆」を蘇生させていけるのが、日蓮大聖人の仏法です。
 
 ──青年が今、陸続と学会に入会しているのも、「何のため」という問いに、確かな答えがあるからだと思います。
 
名誉会長 その通りだね。
 自分のことばかりに汲々としていると、何を、どうしたらいいかは、なかなか見えてこない。しかし発想を変えて、「人のために、社会のために、今、何ができるか」と考えれば、やるべきことがはっきり見えてくる。
 御書には、「人のために明かりを灯せば、自分の前も明るくなる」(1598㌻、通解)と示されています。
 目の前の苦しんでいる一人の人に手を差し伸べ、世の中で困っていることを解決するために、具体的な一歩を踏み出す。その中で、自分の夢も、進むべき人生の道も見えてくる。何より心が決まる。
 人は「他人を支えている」ようで、実は「支えられている」のです。「人を助ける」ことで「自分が助けられる」のです。これは、仏教が展開する縁起的な世界観に通じるものといえましょう。
 ロシアの文豪トルストイも、「この人生における疑う余地のないただひとつの幸福は、他人のために生きることである」と言っています。
 
 ──でも、何をどこから始めればいいのか、わからないという声もあります。
 
名誉会長 難しく考える必要はありません。まず、青年らしく率直に語り合うことから、始めればいいんです。
 「はじめに対話ありき」です。一切の価値創造は、「対話」から始まります。
 大仏法を持《たも》った青年たちによる「対話」が、力ある行動を生み、慈愛と信頼のネットワークを広げる。「対話」こそ「人のつながり」の起点であり、結合力なのです。
 今月の座談会の拝読御書として研鑽した「諸法実相抄」の結論には、「力あらば一文一句なりともかた(談)らせ給うべし」(1361ページ)と仰せです。持てる力の限り、自分らしく誠実に対話をし、「一人」の心の変革を促すことです。目覚めた一人一人の連帯を結ぶところから、時代を変革する力が結集されます。
 
 ──東北に応援に行った青年たちからも、「少しでも役に立てばと行ったのに、かえって東北の方の温かさや強さに触れて多くを学び、自分の人生観が変わった」という声が寄せられています。
 
名誉会長 応援に駆けつけてくれている友に、私からも重ねて「尊い地涌の菩薩の行動、本当にありがとう! ご苦労さま」と申し上げたい。
 人を幸福にできる人が、真に幸福な人です。
 仏道の根幹は菩薩の実践です。
 菩薩の実践の全ての基本は、「あらゆる人を救いたい」との「衆生無辺誓願度」という誓いです。
 縁する人を全て幸せに。それが実現してこそ、自身の真の幸福、成仏もあるのだ──そう決めて智慧を尽くし、身を粉にして戦う。
 その最も優れた手本が、法華経に登場する不軽菩薩です。
 「あなたにも幸せになる力がある。一緒にその力を発揮していきましょう」と、あらゆる迫害や反発に耐え、訴え続けて仏となりました。不軽菩薩は、釈尊自身の過去の修行の姿です。
 大聖人も、この不軽菩薩の実践を、生涯、貫かれたのです。
 「他人だけが不幸」はありえない。と同時に「自分だけが幸福」もありえない。ならば「人を幸せにする」ことが「自分が幸福になる道」です。自他共に幸福を勝ち開いていく。ここに、法華経の真髄の行動があります。これが、我らの学会精神です。
 
※コックスの言葉は『21世紀の平和と宗教を語る』(潮出版社)。釈尊の言葉は中村元訳『ブッダのことば』(岩波書店)。トルストイの言葉は小沼文彦訳編『トルストイの言葉』(彌生書房)。
 
「話せばわかる」「話せば変わる」
 
祈り、動き、語る。その積み重ねの中で、強く賢く大きくなれる
 
 ──八王子の創価大学では、「法華経──平和と共生のメッセージ」展(東洋哲学研究所主催)が開幕しました。ぜひ友人にも見せたいと思います。
 
名誉会長 展示では、「法華経の七譬」も紹介されています。
 その一つ「衣裏珠の譬え」は、友情を根底とした譬喩です。
 すなわち、貧窮した友を見かねた親友が、その友が寝ている間に衣の裏に、価がつけられないほどの宝の珠を縫い付けて、所用のために立ち去った。貧窮の友は気づかないまま、その後も苦悩の流転を続けてしまう。
 やがて再会した時に、親友から、衣の裏にある宝の珠の存在を告げられ、初めて大歓喜するという物語です。
 この価がつけられないほどの宝の珠とは、仏性を賢えています。衣の裏とは、生命の奥底ということです。万人の胸中に、もともと尊極な仏性が具わっていることを象徴しています。
 その自らの仏の生命に目覚めて、「歓喜の中の大歓喜」の人生を生きゆくことを教えているのが法華経です。そして、その歓喜の自覚は、友情の対話によって呼び起こされていくのです。
 法華経展の会場である創大の記念講堂には、文豪トルストイの像も立っています。
 文豪は人類愛の精神の闘争で、人間と人間を結び、世界平和を実現しようとしました。だからこそ、もがいて苦しんだ。
 自分を含め、なぜ人は自己中心的でバラバラに生きているのか、と。
 そして、こう結論して、自分の大理想を貫き通しました。
 「彼等と私は一つである。現在生きて居り、嘗《かつ》て生き、また将来生きるであろう人々も一つなのだ、──私と一つなのだ。そして私は彼等によって生き、彼等は私によって生きているのだ」
 仏法に通じる人間観です。自分に縁ある人とは、三世にわたってつながっている。自他不二です。
 ゆえに互いに励まし合い、仏の生命という最高無上の宝を光らせながら、価値ある有意義な人生を生き抜いていくことです。
 他者の人生を輝かせれば、自分の人生も輝く。その「つながり」を実感するのが対話です。「対話の道」が、自他共の「歓喜の道」であり「幸福の道」なのです。