【第4回】発明王 エジソン (2014.7.1)
最後まであきらめない人が勝つ
もうひとがんばりで、楽しい夏休みがやってくるね。
長い休みなので、ふだん、できないことに、じっくり取り組むチャンスです。みな、暑さに負けず、元気に挑戦していこう!
そして、何でもいい、自分らしく、のびのびと、新しい「発見」「発明」の夏にしようよ!
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エジソンは、19世紀から20世紀にかけて、次から次へ、たくさんの発明をして、この世界を明るく、便利に変えた人です。
「電灯」や「電話」、録音して再生ができる「ちくおんき」、「映画のきかい」などなど……今回のエジソン展でも、その一部が展示されます。
今、私たちのまわりにある「せんぷうき」や「けいたい電話」「音楽プレーヤー」なども、もとをたどればエジソンの発明から始まっています。エジソンのおかげで、人類は、どれだけ豊かに楽しくすごせるようになったことでしょう。
エジソンは、なぜ、すばらしい発明を、こんなにたくさん生み出すことができたのでしょうか?
今回は、このことを、いっしょに考えてみよう。
エジソン少年は、川が流れる美しい村にある、赤レンガの小さな家で育ちました。気になったことは何でも、まわりの大人に、どんどん質問する子だったようです。
「なぜ、1たす1は2なの?」 「風はなぜ、ふいてくるの?」 「にわとりの卵は、なぜヒヨコになるの?」
次々に質問するので、学校の先生でも答えられないことがありました。
「なぜだろう?」と考え、「知りたい」と思って質問してみると、「そうだったのか!」とわかる。
この喜びで、エジソンの心は、いつもいっぱいでした。だから、また質問をしたのです。
知らないことを知るたびに、新しい世界が発見できます。すると、また知らないことが、たくさん出てきます。それを知るたびに、また喜びもふえていく。楽しく、どんどん、かしこくなっていけるのです。
「なぜ?」──これは、みなさんの心の宇宙を限りなく広げる、ふしぎな力を持つ言葉です。
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エジソン少年は、小学校のせいせきは、あまりよくありませんでした。
授業中も、別のことを考え始めて、先生に、きびしくしかられたこともあります。でも、エジソンは、それでやる気をなくしたりはしません。学びたいことは、いっぱいあったからです。
そんなエジソンに、お母さんは理科や社会、算数など、たくさんのことを教えてくれました。字をきれいに書くことも教えてくれ、いっしょに声を出しながら本を読んだりもしました。
エジソンは、本が大好きになりました。本には、自分の知らないことが、つきることなく書いてあったからです。町の図書館に通っては、本を読みまくりました。
夢中になれるものがあるということは、すばらしいことです。みなさんも、“夢中になってやれるもの”を見つけてみてください。
自分でやってみて、うまくいけばうれしい。たとえ失敗しても、必ず心の中に宝物が残ります。
そうした喜びでワクワクした経験が、みなさんの無限の可能性を開いてくれるのです。
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エジソンは、苦しい思いも、たくさんしました。
その一つは、12歳ごろから耳が聞こえにくくなったことです。そのうち、小鳥の鳴き声を聞くこともできなくなりました。
それでも、エジソンは、発明に取り組むことをあきらめませんでした。
――耳の聞こえないことは、決して不幸なこととは思えない。耳が聞こえないから、読書や仕事に集中できる。
エジソンは、ほがらかに前向きに考えていったのです。
エジソンは語っています。
「成功するための最善の(一番の)方法は、もう一度やってみることだ」
「他の発明家の弱点は、ほんの一つか二つの実験でやめてしまうことだ。わたしは自分が求めるものを手に入れるまで決してあきらめない!」
今では世界中で使われている電灯を発明した時も、白熱電球の中で光を出す部分(フィラメント)に、何がいいのかを知るために、植物を使った材料だけでも6000種類をこえるものを、ためしてみました。
その結果、電灯が、世界で初めてつくられたのです。
一生けんめいに発展させてきた、だいじな工場が、火事で焼けてしまうこともありました。それでも、「これからは、今まで以上の成長を続けてみせる。へこたれるものか」と、さっそく、新しい工場を建てるための図面をかき始めたのです。
なぜ、エジソンが、すばらしい発明を生み出すことができたのか?
そうです! それは、どんなことがあっても、「決してあきらめなかったから」です。何回、失敗しても、成功するまで、ねばり強く挑戦し続けたからなのです。
「ねばり強い人」が、りっぱな人です。
「あきらめない人」が、勝利の人です。
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エジソンの発明した電灯は、暗い夜を明るく照らしました。
日蓮大聖人は、「百千万年の間、闇にとざされていた所でも、灯りを入れれば明るくなる」(御書1403㌻、意味)と仰せです。
仏法の光は、不幸になやんでいる生命を、希望と勇気の灯りで明るく照らしていくことができます。
みんなのおじいさんやおばあさん、お父さんやお母さんは、この光を一人一人の友におくってきました。
学会の活動には、多くの人を楽しく元気にする、すばらしい力があります。世の中にたくさんの笑顔をつくり出している学会の同志の方々は、りっぱな「幸せの発明王」なのだと、私は思います。
21世紀の人類を照らしゆく、みなさんの心の中には、負けずにがんばる力があります。何かを夢中でやりとげようとする時に、眠っていたその力が目をさまし、いくらでも元気がわいてくるのです。
さあ、この夏、まずは何か一つ、全力で取り組むものを決めて、がんばってみよう!
「これをやろう」と決めて、挑戦を始めた時、きっと、みんなの心が宝石のように、強く明るく、かがやき始めるよ!