求道17  2014年7月2日

どの県、どの地域にも、繁栄の花を咲かせ、幸せの果実を実らせることが広宣流布である。
山本伸一は、その前進のために、県ごとに、さらには市町村ごとに、細かく光を当て、人材を育もうと、少しでも時間があれば、皆と懇談するように努めていたのである。
初夏の太陽を浴びながら、風にそよぐ青葉に、希望が躍っていた。
五月二十八日の午後、伸一は、東北平和会館での宮城県幹部会に出席した。
彼が、会館の構内を歩いていると、門の外で、「先生!」と呼ぶ声がした。
そこにいたのは、中津川美恵という大ブロック担当員と、彼女の紹介で入会した壮年、そして、ブロック長、ブロック担当員(現在の白ゆり長)であった。
「どうぞ、どうぞ、中へお入りください」
伸一に促され、四人は構内に入った。
中津川は、頬を紅潮させて、壮年の一人を紹介した。
「先生。こちらは、私と同じ会社にお勤めなんですが、入会を決意され、本日、晴れて御本尊をいただくことができたんです」
「そうですか。おめでとう!」
 伸一は、その壮年に、「何があっても、しっかり信心に励んで、必ず幸福になってください!」と言い、皆と握手を交わした。
中津川は、目を潤ませながら報告した。
「昨年の夏、長男が会館の職員に採用され、広宣流布に生き抜く決意を固めております。
亡くなった主人も、きっと大喜びしていると思います。本当にありがとうございました」
彼女の夫は、一九六四年(昭和三十九年)、病のため、四十四歳で他界した。
子どもは、小学六年の長男を頭に、三人いた。
信心していた夫が、若くして他界したことから、心ない言葉を浴びせる人もいた。
「先祖代々の宗教を捨てて、学会なんかに入ったからだ!」
悔しかった。
でも、彼女は挫けなかった。人間の強さを引き出す力こそ、仏法である。