求道18  2014年7月3日

中津川美恵の夫は、病床で息を引き取る前に、彼女の手を取って言った。
「大変だろうが、子どもたちを頼む。誰からも後ろ指をさされることのない、立派な子どもに育ててくれよ。頼んだぞ……」
「わかりました。きっと、誰からも信頼される立派な人に、信心の後継者に育てます」
夫を送った美恵は、心に誓った。
「主人との約束は絶対に果たす。何があっても、強く、強く、生き抜こう。私には御本尊がある。山本先生の、学会の指導通りに信心を貫き、必ず幸せになってみせる!」
彼女は、運命の嵐のなかで、敢然と立ち上がった。鉄工所の事務員として働きながら、子どもたちを育てた。
子ども三人が、皆、学校に行くようになると、生活は苦しさを増した。
しかし、歯を食いしばって働き、学会活動にも奔走した。
「人一倍努力することは、人間として当然だ。しかし、福運がなければ、その努力も実を結ぶことはない。福運をつける道は、信心以外にはない」
母親が身を粉にして働いていることを目にしてきた子どもたちは、高校や大学に進学したいとは、なかなか言い出せなかった。
しかし、意を決して自分の希望を打ち明けると、「うん、大丈夫よ」との言
葉が、笑顔とともに返ってくるのだ。
苦労はさせたが、長男は大学を卒業した。長女も高校までは行かせることができた。次男は、この一九七八年(昭和五十三年)の五月には大学三年生になっていた。
中津川は、できることなら伸一に会って、亡くなった夫のことや、子どもたちのことを詳細に報告し、心から御礼を言いたいと思っていた。
その千載一遇の機会が、突然、訪れたのだ。
しかし、伸一を目の当たりにすると、ひとこと報告するだけで精いっぱいであった。ただ、涙ばかりがあふれてくるのだ。
涙は、太陽の光に照らされれば、銀の真珠となり、時に黄金の光彩を放つ。信心ある限り、苦闘は、燦然たる人生の栄光となる。