求道15  2014年6月30日

山本伸一は、草創期以来、東北の同志を、じっと見続けてきた。
そのなかで実感してきたことは、どんな困難に遭遇しても、決して弱音を吐かないということであった。
東北の人びとは、冷害をはじめ、チリ津波など、さまざまな災害に苦しんできた。
しかし、彼らは、「だからこそ、御本尊がある!」「だからこそ、地域中の人たちを元気づけるために、俺たちがいる!」「だからこそ、広宣流布に一人立つのだ!」と、そのたびに、一段と闘魂を燃え上がらせてきた。
苦難の烈風に叩きつけられ、倒れ伏した大地から、敢然と頭を上げ、立ち上がる姿をもって、学会への理解と共感の輪を広げてきたのが、東北の同志である。
この宝友たちが示した信仰の最大の実証とは、「蔵の財」を得て、物欲を満たすことではなかった。
「人は、ここまで強くなれるのか! ここまで他者を思いやれるのか!」という、人間のもつ、まばゆいばかりの生命の輝きをもって、「心の財」をもって、真実の仏法の力を証明してきたことだ。
日蓮大聖人は、「教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」(御書一一七四p)と仰せである。
仏法という大法は、人間の生き方、行動のなかにこそある。
伸一は、そうした東北の同志を思うにつけ、東北広布は、やがて一段と加速し、「広布模範のみちのく」が現出することを、強く確信するのであった。
彼は、懇談会で訴えた。
「また次の新しい十年をめざして、共に広宣流布の峰を登攀していこうではありませんか。新しき歩みから、希望が生まれます。
前途には、当然、猛吹雪の日もあるでしょう。
大聖人は、『大難来りなば強盛の信心弥弥悦びをなすべし』(同一四四八p)と言われている。
大難に出遭うことは、信心を試されているということなんです。
『大難なくば法華経の行者にはあらじ』(同)です。
大難と戦うことは、正義の道を征く者の宿命です。決して恐れてはなりません」