小説「新・人間革命」 革心49 2015年 6月26日
鄧穎超の母・楊振徳は、一九四〇年(昭和十五年)十一月、病のため、六十五歳で世を去る。
身なりも質素で、清貧に甘んじ、雑草のごとく強く、いかなる迫害にも屈することのない、気高き信念の生涯であった。
彼女は、娘にこう語ってきた。
「人は周夫人と言ってきっと大事にしてくれるわ」「でもあなたは一生懸命学んで、努力して、周夫人としてではなく、穎超として尊敬される人になりなさい」(注1)
独立した人間であれ――それが、母の教えであった。
鄧穎超が悲しみの淵に突き落とされた時にも、泣いても何も変わらないのだから、歯を食いしばってでも頑張るようにと、励ました。
母親は、人生で最初の教師であり、娘にとっては、生き方の範を示す先輩である。
フランスの作家アンドレ・モーロワは言う。
「数々の失敗や不幸にもかかわらず、人生に対する信頼を最後まで持ちつづける楽天家は、しばしばよき母親の手で育てられた人々である」(注2)
周恩来、鄧穎超にも、常に監視の目が光り、脅迫なども日常茶飯事であった。
しかし、周恩来たちは、いきり立つ同志に、今は団結して抗日の戦いを進めることを懸命に説いた。
四五年(同二十年)、日本の無条件降伏によって中国の対日戦争は終わる。ところが、それは新たな国共の内戦の始まりであった。
周恩来と鄧穎超は、梅園新村を事務所、宿舎として、国民党との和平交渉を行った。
だが、和平はならず、内戦は激化し、悲惨な全面戦争となっていった。
一方、国民党の蒋介石は、台湾へ移っていった。
■引用文献
■主な参考文献
『人民の母――鄧穎超』高橋強・水上弘子・周恩来 鄧穎超研究会編著、白帝社
ハン・スーイン著『長兄――周恩来の生涯』川口洋・美樹子訳、新潮社