【第13回】 童話の王さま アンデルセン  (2015.4.1)

 
新入生のみなさん、晴れの入学おめでとう! 進級したみなさんも、おめでとう!
新1年生は今、「友だちできるかな?」「どんな勉強をするのかな?」と胸がドキドキしていることでしょう。不安なことや、心配なこともあるかもしれません。
でも、みんな大丈夫です!
みなさんは、負けない心が燃える「ししの子」だからです。
さあ、私たちは、いっしょに、「きょう」という新しい一日の物語を元気につくっていきましょう。
 
みなさんは「人魚姫」や「マッチ売りの少女」、「はだかの王さま」や「おやゆび姫」などのお話を読んだことがありますか。こうした名作を150もつくり、「童話の王さま」と呼ばれているのが、アンデルセンです。
少年少女部の合唱団の中には、「アンデルセン」の名前が入った合唱団もあります。彼が書いた「雪の女王」の話をもとにした映画も、最近、大ヒットしましたね。
アンデルセンが生まれた国は、ヨーロッパの北の方にあるデンマークです。首都のコペンハーゲンの海辺には、「人魚姫の像」があり、私も54年前、この像の前に立ちました。
デンマークは、創価学会初代会長の牧口常三郎先生が教育のもはんとして尊敬された国で、私もこの国の大教育者と対談集を発刊しました。この中でも、アンデルセンの童話には 人をいちばん大切にする心 があふれていると語り合いました。
世界中の人が 人を大切にする心 をもてば、必ず平和な世の中になるにちがいありません。ですから、 友だちを大切にする心 をかがやかせ、がんばっているみなさんのことを聞くと、私もうれしくなります。
 
アンデルセンの童話に、「みにくいあひるの子」があります。
――夏のある日、アヒルのお母さんはずっと、たまごをあたためていました。すると、次々と、かわいらしいヒナたちが生まれてきました。しかし、最後に生まれたヒナは、とても大きく、灰色の毛でした。
そのため、友だちやきょうだいたちから みにくい といじめられ、とうとう、にげ出してしまいます。どこへ行っても、みんなとちがうといわれ、仲間はずれにされて、きびしい冬を、ひとりぼっちですごしました。
やがて春になると、みにくいアヒルの子は、自分でも気がつかないうちに、大空を飛ぶことができるようになっていました。
木々に囲まれた池におり立つと、白鳥たちがあらわれました。
きっと、みにくいと思っているんだろうな
ヒルの子は悲しくなって、うつむいた時、水面にうつった自分の姿におどろきました。うつっていたのは みにくいアヒルの子 ではなく、 一羽の美しい白鳥 の姿だったのです――。
 
この物語は、アンデルセンが、自分の人生をふりかえって書いたものといわれています。
アンデルセンは今から210年前の1805年4月2日、オーデンセという町に生まれました。まずしいくらしでしたが、両親の愛情をたっぷり受け、幸せな日々を送っていました。
お父さんは読書が好きで、幼いアンデルセンに 『アラビアン・ナイト』 などの本を読んでくれたり、おしばいに連れて行ってくれたりしました。だから、小さいころから本やおしばいが大好きになりました。
でも、お父さんはアンデルセンが11歳の時、病気で亡くなってしまいます。生活はさらに苦しくなりました。そのなかで、お母さんが必死に働いて、育ててくれたのです。
ある時、コペンハーゲンの劇団が町にやってきました。アンデルセンは、その劇に感動し、自分も役者になろうと決意しました。そして14歳で役者を目指し、コペンハーゲンへ、旅立ったのです。
しかし、その夢は、あっけなく消えてしまいます。どこにも、やとってもらえません。食べるものにもこまる日々が続きました。でも、アンデルセンは、へこたれません。
役者がだめなら、劇の作者になろう――彼は一生けんめいに、物語を書いて、劇場へ送り続けました。すると、その一つが認められ、学校に行かせてもらえるようになったのです。
この時、アンデルセンは17歳。学校では、四つも、五つも年下の子どもたちといっしょに、勉強をしなければなりませんでした。
一人だけ年上で、体が大きかったせいか、いじわるな先生にからかわれたり、いじめられたりしました。それでも、勉強を重ね、23歳で大学に合格することができました。そして、大学にいる時から、小説や詩、童話をたくさん書きはじめました。
失敗も多かったけれど、負けずにがんばるアンデルセンには、応援してくれる人がいっぱいいました。その人たちにささえられて書き続け、やがて、世界中の子どもたちに読みつがれる大作家へと成長していきました。
「みにくいあひるの子」のようにいじめられたアンデルセンが、みごとな「白鳥」となって、世界文学の大空へ羽ばたいたのです。
 
自分が人とちがうことで、いじめられることがあるかもしれない。しかし、そんな いじめ差別 は、絶対にまちがっています。だから、断じて負けてはいけない。
みんなは、自分にしかない、すばらしい 宝もの をもっています。その 宝もの を最高にかがやかせるのが、題目の力です。今は分からなくても、いつか、必ず分かる時がきます。
アンデルセンは記しています。「私の今までの生涯には晴れた日も曇った日もあった。けれども、すべてはけっきょく私のためになった」と。
どんな時も希望をもって挑戦する人が、偉い人です。何があっても挑戦を続ける人が、最後に必ず勝利する人です。夢をもち続け、へこたれないで努力するかぎり、苦しいことも悲しいことも全部、自分の成長の力に変えられます。
 
現在、アンデルセンの誕生日である4月2日は「国際子どもの本の日」となり、日本ではその日をはさんだ2週間を「絵本週間」として、絵本に親しむようにしています。
この4月2日は私の師匠・戸田城聖先生の亡くなられた日です。私は、戸田先生が経営する出版社で働き、21歳の時、少年雑誌の編集長になりました。子どもたちにとって、おもしろくて、ためになるものをつくり、夢と希望を送ろうとがんばりました。
私が、これまで童話をつくったり、こうして今、「希望の虹」を書いたりするのも、この時の誓いがあるからです。私の願いは、まったく変わりません。
 
いよいよ楽しい1学期です。
少年少女部のみなさん全員が、笑顔の1年間になるよう、私も妻も一生けんめいに題目を送ります。、
アンデルセンは書きました。
「小鳥のつばさが窓をうつ/外へ出よう、いますぐ!/知識の実は外になっている/健康のリンゴと共に/さあ飛んでいってその実をつもう/すべてのすばらしいもの、美しいものを!」
勉学第一、健康第一、そして、友情第一、親孝行第一でいこう!
みなさんの未来には、「すばらしいもの」「美しいもの」が、いっぱい待っているのだから!
 アンデルセンの言葉は、 『アンデルセン自伝』 大畑末吉訳(岩波書店)、山室静著 『新装 世界の伝記3 アンデルセン』 (ぎょうせい)から。参考文献は、アンデルセン著 『みにくいあひるの子』 木村由利子訳(ほるぷ出版)、大石真著 『チャイルド絵本館 伝記ものがたり7 アンデルセン』 (チャイルド本社)ほか。